砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

2016年9月30日の日記

今日は仕事が休みだったんですが、午後から休日出勤しなくてはならない用事ができまして、しかもそこでいろいろとミスに気付くというアレな日でした。わが職場は大変なブラックなので、そこで働いている自分も反社会的な存在を支持していることになるのではないか、ぼくは社会にとって害悪なのではないか、みたいに考えるとどんどん気分が落ち込んでいってすごいですね。やめましょう。午前中もいろいろとやりたいことはあったのですが、どれもやらないまま寝過ごすという、残念な日でした。ただ、朝に作ったカレーはけっこうおいしかったかな。フォン・ド・ボーの固形のやつを入れると高級感が出ますね。

 

そんなこんなで結構ネガティブな感じになったので、それなりにネガティブなエントリを書こうかと思って悩んだ挙句、とりあえずタイトルは「リア充の圧倒的な正しさ、そしてぼくが彼らを憎む理由」にしようと決めたところまでここに吐き出しておきます。でも1時間後くらいにもう書いてたりして。明日はいいことがあるといいな、と思い続けてもう3年か、という感じですがまあ、そんじゃあね。

おれという人間の価値観を押し付けたいがためだけの本たち

今週のお題「プレゼントしたい本」

過去に何度か本をプレゼントしようとしたことは何度かあって、読んでつまらなかった本とかはタダでホイホイ人にあげちゃう(時には相手に金を払ってまで引き取ってもらう)のですが、プレゼントとなるとなかなかうまくいかない。実際に渡すタイミングがなかったという場合もあるのですが、なんだか「この本読みなよ」って教養の押し付けというか間違った教養主義というか、おもしろいだろうこの本っていう価値観を相手に押し付けたいがためだけにやろうとしてないかって思っちゃうのです。そうなると本をプレゼントするという行為がなんだか暴力的なものに思えてきてしまってなかなか実現に至らずもやもやしております。ほかの人から本をもらったり勧められたりするのはすごくうれしいんだけどね。というわけで傲慢なタイトルからスタート。

 

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

 

 これは大学で薬学部に進学しようとしていた女の子にプレゼントしようとしていた本で、文系だったぼくには薬のことなんてわかるわけもなく、それでもなんとか共通点を見つけようと頑張った結果がこの本。中島らもが合法非合法様々なドラッグについて語ったエッセイなんだけど、勉強のために入った図書館で中島らもを読み漁っていたこと、当時の自分には薬の知識なんてこの本由来のものしかなかったこと、そしてドラッグとかロックみたいなカウンターカルチャーに憧れていた高校生時代の自分自身について彼女に知ってほしかったことがありありと思い出されて大変甘酸っぱい気分になる一冊。

 

サキ短編集 (新潮文庫)

サキ短編集 (新潮文庫)

 

 当時サキさんという女性と接点ができて、前から知ってはいたけど特に話す間柄ではなかったのが、急に会話をするようになったのがきっかけで、なんとなく洒落でプレゼントしてみようかなと思って買ったのがこの本。結局サキさんとはそれ以上仲良くなることもなく、この本もいまだに読んでないし、上記の出来事をすっかり忘れてもう一度この本を買おうとしたぐらいにはぼんやりした思い出しかない。でもサキさんにサキの本を贈るというのは我ながらうまいこと言ったなあと当時の僕は思っていたのだろう(今でも思っている)。

 

禁酒セラピー [セラピーシリーズ] (LONGSELLER MOOK FOR PLEASURE R)

禁酒セラピー [セラピーシリーズ] (LONGSELLER MOOK FOR PLEASURE R)

 

 これは実際にプレゼントした本。当時ちょうど20歳を迎えて、人生で初めて酒を飲むという女性にこれまた洒落でプレゼントしました。もう受け狙いでしかないけど、その宴会の席では非常に受けたのでよかったっす。

 

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

 

 これも実際にプレゼントしました。音楽を研究している大学院生の女性とたびたび初音ミクについて話すことがあって(楽器の歴史から見ても興味深いらしいですよ初音ミク)、その流れの中で思いついたのと、当時彼女が就職先が決まったというのでそのお祝いに。この本は書いている人がロッキングオン出身の人で、ウッドストックとかパンクムーブメントとかと同列に扱って「世界を変えた!すごい!」って言おうとするような書き口が個人的には気に入らなかったけど、全体的な内容は面白かったと思う。全部読む前に持ってたのをあげちゃったのと、彼女から感想を聞いていないのが心残り。

 

 この本も実際にプレゼントした本で、これだけ相手が男性。「最近なんか面白い本ない?」と聞かれてプレゼントしました。最初に読んだときはそうでもなかったんだけど、後から思い出した時にあまりに泣いてしまって、これを持ち続けたら自分はダメになると思ってブックオフで売っちゃったんだけど、それでも買い戻したくなるぐらい好きな本。好きな人の昔の姿を見てみたくないですか?みたいな一文があとがきにあって、そうそう好きな人の性格とか視点はどうやって作られたものなんだろうとか、もしくは相手が過去に悲しい出来事に直面していた時にタイムスリップしては現してあげたいなあとか思うことがよくあったのでとにかく刺さりました。とにかく大好きで何冊でも買ってみんなに配りたいんだけど、だからってプレゼントする本人の目の前で読み直して号泣してから渡すのはやりすぎだったかなあと思います。

 

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

 

 これはプレゼントできなかった本。相手は女性で、本人は自由奔放で型破りなところがるんだけど、でも仕事でとにかくカタい部署に配属になってしまったという人に渡そうとしてました。でも彼女はとにかく活字を読まない性格らしく断念。仕事はしなくちゃいけないけど、なんかもっと気楽に好きなことやっていいしできるんだよって伝えたかっただけに残念。ほぼ日が関わっているのでそっち系のテイストと合う合わないはあるにせよ、結構いい本なのにねえ。

 

こうして並べてみると、おれ、女性に本をプレゼントしようとしすぎ。なんだかそういうところからも女性を自分の型にはめて口説こうとしているようでいやになるんだよな~と思いつつも、本って選ぶ人の過去やその時の趣味とか考え方がダイレクトに反映されるから好き。これを書いているときも過去の自分を思い出してすごく懐かしい気持ちになりました。だから似通ったセレクトになる「人生で読むべき本20冊」みたいなのは好きじゃないんだけど、もうちょっと趣味がはっきりしていたり、自分の知っている人から勧められる本はどれもすごく面白そうに見える。だからもっと人から本を進められたいなあ、そしておれの勧める本も読んでほしいなあ(そしておれの趣味を理解しておれのことを好きになったりしてくれないかなあ)と思うのだ。

新海誠がおれを刺しに来た 映画評「君の名は。」

あの、最近でも「お前は女性との距離の詰め方がキモい」なんて言われるぐらいにはぼくはキモいらしいのでいかにこの映画が気持ち悪かろうと、某シロクマが「秒速……」をキモいと言おうと、そしてこのエントリがいかにキモかろうと、その点については十分に自覚したうえで書いてるんだよって言い訳したうえで本題に入るのですが、えっと、その、劇中で奥寺先輩と瀧くん(三葉ちゃんver.)がデートしてた国立新美術館、あそこでぼくもデートしようとしたことがありまして、ひとりでも何回か行ったことがあったのにわざわざ下見するぐらいの気合の入れ方をしたのに結局実現せずに終わったんですが、それが実現しているのを大スクリーンで見た瞬間にもう泣いてるよね、っていうか周りカップルだらけだったけど彼氏を待ってる時の彼女たちとかかわいすぎてもう映画が始まる前から泣いてたよねっていうか、閑話休題ともかくですね、ほかにも奥寺先輩とデートの待ち合わせしたり就活の合間に再会したりした四ツ谷駅前とかも、仲良かった先輩との思い出の場所だったり就活で憔悴しきってふらついてた場所だったりするんですよ、これがねえ、そんでもって瀧くんと三葉ちゃんが電話かけてもつながらなかった歩道橋あるじゃないですか、あれをなんだかすごいテンションで走り抜けたこともありましてですね、で、舞台が東京と飛騨じゃないですか、ぶっちゃけ今住んでるのが岐阜だったりするのでだいぶ見たことあるものが見えるんですよ、「あ、あれは美濃太田行きワイドビューひだじゃないか!」とかね、もう新海誠にストーカーされてんじゃねえかってぐらいおれにゆかりの土地が映るわけ、もうね、なんなんだと、アボカドバナナかと、そしてもって極めつけは、ねえ、これを読んでいるあなたに語りかけてるんですけど、あなた、夜の新宿を人を探してさ迷い歩いた経験とかってあります?ありますあります?おれにはあっちゃうんだよなあこれがなあ!そんなこともあったよなあとか考えてるうちに泣いてるよね、もう泣いてるよね、ていうか「秒速5センチメートル」が大好きなんですよおれは、何回も見て小説版も読んで山崎まさよしのCD買って明け方の桜木町に行っちゃうぐらい(でもあそこ、そういうロマンチックな感じでもなく海とその近くを走る幹線道路がとにかくかっこいい硬派な町でした)大好きなんすよ、でね、あれもラスト新宿じゃないですか、もう嫌な予感しかしなかったわけ、次の場所を選べないいつでも探しているよどっかに君の姿をまでおれの脳内まさよしはフガフガ歌ってたわけ、でね、そこからのラスト、なんか三葉ちゃんきれいになっちゃってすれ違ったまま通り過ぎようとするじゃないですか、もうこれはあれだ、瀧くんが貴樹くんみたいにドヤ顔して終わる感じだなあーあって思うじゃないですか、でもラストああきたかって話なんすよ、ほら「バタフライエフェクト」って映画あったじゃないですかあれの未公開のラストシーンが何パターンかあるんですけど、監督のコメンタリーでは「撮ってはみたけどこれはよくない」みたいなやつがあるんですけど、それを「君の名は。」ではなぞっちゃってるんですけど、でもいいの!これはこれでいいの!そもそも別の映画だし、この映画は「ほしのこえ」で「ひとりで作り上げた執念がすごい」みたいなことをクールに言いつつ、でもそのエモさになんか引っかかるものを覚えつつ、「雲の向こう、約束の場所」では吉岡秀隆をもってきたあざとさにケッと思いつつ、「秒速5センチメートル」で爆発して人生の大切なものを持っていかれたみたいなはたから見ると単なるナルシシズムに過ぎないサムシングを何やら大事そうに抱えつつ、「星を追う子供」で「あれ?」ってなりつつ、「言の葉の庭」ではおおうなんかポエジーな妄想強すぎないかでもユキちゃんチョコと金麦っておれもやってみたけど意外と合うよねファァァーってなりつつ、今回の「君の名は。」を迎えた人たちの抱えきれないもやもやが一気に解放されるためにあったというか、貴樹くんがやっと成仏したよやったね彼も草葉の陰で喜んでるよ、そういう爆発を一般受けする面白い映画なんだから君も見なよ的な空気の中で落ち着いて迎えることができたという喜びというか、そしてそこにおれの場合は前述の通りの自分のエピソードが重なりまして、ああこれはもうおれのための映画だ、おれのことを描いた映画なんだってヴィジュアル系バンドを追っかけまわすバンギャみたいな心理(さもなくば大槻ケンヂの描くそういうの)みたいになってるよね、ていうかみんなきっと似たようなこと思ってて、自分がいちばん新海誠のことを理解しているなんて思ってるんじゃないの、神林長平のファンみたいにさあなあんて思ってたりするわけなんですが、自分が一番それに近くて我ながらキモいなあワハハなどと思ったりするのですが、っていうか何の話だったっけああ「君の名は。」なんですけど、もうおれ以外にこの作品の良さを分からなくていいので誰も見なくていいです、以上!

荒んでいてもコミカル

誰だ!つらいことがあったときはたくさんおいしいものを食べて寝ようって言ったやつは!おかげでブクブク太っただけじゃねえか!

という名言がありまして、まあおれが考えたんだけど。

昨日の飲み会ではかなりのペースでビールを飲んでいたので、ヤケ酒だと思われたのか親切な同席者から「何か悩みでもあるの?」と聞かれました。それはもう悩んでいるので抱きしめてもらいながら涙ながらにいろいろと語りたかったのですが、楽しい場でリアルな悩みを話すのもあんまりよくないかと思いまして(吾妻ひでお失踪日記」の冒頭にもそういう記述がありますし)、「最近痔と下痢と肌荒れがひどいんですよ~」と言ったところ、会場全体が「やっぱやめとこう」みたいな空気になりました。うん、正直食事の場で出すのにふさわしいワードだとは思っていなかったよ。しかしストレスがたまっているのか実際にそれらの症状に悩んでいたので、真剣に受け止めてもらえなかったのはちょっと残念。

ところでこの中でも特に痔ってなんかすこしおかしさがある。いやあ私も痔なんですよウフフと話すとき、話者の気恥ずかしさと、それを乗り越えた者に対する私もですよ!という他の痔主の告白とが相まってなんだか場に連帯感が生まれるだろう。あれ、なんかちょっとおもしろい。

そして自分の過去を振り返ってみると、ストレスがたまっているときってなんだかおもしろいのだ。大学浪人時代、センター試験直前の12月にお腹にガスがたまるようになってしまった。妊娠かというレベルでお腹が張って、しかも1日中前かがみで座って勉強しているのでそれはもうつらかった。しかしそれで1日中げっぷとおならが出っぱなしだったのは今考えるとすこしおかしい。コミカルである。医者に行ってみると正確な原因は胃カメラ飲むまでわからないがたぶんストレスとかだろうと言われた。ストレスが体調にまで影響しているのは結構やばいと思うのだがコミカル。なんだろうこのおかしさは。

あとその直前の模試の結果が散々で大暴れしたくなった時も、家の自室でディジュリドゥ(アボリジニの民族楽器)を吹きまくった。簡単なものなら塩ビパイプで簡単に作れるのだが、これがたまたま自室にあったのだ。これがぶいぶいぶぃ~んって感じのボンヤリした音で、おれはこんなに悩んでいるのにどうしてこんなにぼんやりした暴れ方しかできないんだろう、なんだかおかしいなと思った。

いずれも事の最中に「これは後々話のネタになるんじゃないか」と思うぐらい、自分の中での状況の深刻さと事実のおもしろさとのギャップがすごい。どんなに心が荒んでいても傍から見ればコミカルというのは、3枚目の神に愛されている気がしてちょっとうれしい。2枚目にはなれなくても、いつかこういう出来事をおもしろおかしく人に話せるなれたらいいなあと。

昨日の日記

昨日はちょっとした飲み会がありまして、どんな飲み会であろうとガブガブ飲んじゃうぼくとしてはそれはもう飲んだのですが、その一方で同じ会社の初対面の先輩と結構長く話すことができました。場所は少し離れているのですが同じ部署の仕事なので共通の話題があり、元々インタビュー好きなのもあっていろいろ話してもらえてよかったです。彼は非常に現場主義な人だったのですが、ぼくの中では非常にミクロでどうしようもない仕事だと思っていたものが、彼にとってはとても夢のある仕事に見えているということ。おかげで少しやる気が出たような気がします。それでは

エピソードトークがしたいんだよね、おれは

portal.nifty.com

この記事最高だな~と思って。何が最高って、自分のエピソードが話せるから。

ぼくは大変な恥ずかしがりで人見知りなので(そのくせ目立ちたがりなので生まれてこの方すごく生きづらい)、他人とかかわるときにはかなり自分のキャラを作っていくタイプなのだ。今日はこの人と会うから、この人とはこういう関係性だからこういう感じでいこうとか、あの人は前にあれが好きだと言っていたからあれについて話題を用意していこうとか、とにかく緊張してしまうので今日はここまでやろうと思って臨まないと何もできなくなってしまう。だから休日に知り合いにばったり会ってしまうと、もう「あうあう」とかしか言えない。

そういう難儀な性格なもので、人と会うときには「これを話そう」というエピソードを用意していく。内容は最近おもしろかったこととか子供のころの話とか家族のバカ話とか、いわゆる鉄板のネタを用意していく。それを考えているときはそれはもうバカ受けで周囲は拍手喝采みたいな状況をイメージしているんだけど、結局そうなることは無い。テレビのバラエティ番組みたいにはいかないよな、とわかってはいても、それ以外の会話が難しいタイプの人間としては切実な問題である。

とはいえ周囲からは会話が下手だとはたぶん思われていないのである。それはひたすら相手の話を聞いているから。相手のことを知って好きになるという行為自体が好きなので、相手が立て板に水で話してくれる分にはとても楽しいのだけれど、そうすると自分のことを知ってもらう機会がないのだ。そして結果として「君はよくわからないねえ」などの評価を受けることがよくある。それは自分にとっては不本意なので、じゃあ相手が自分のことを知ってくれて、伝わりやすくておもしろい話をしなくては……と悩んだ結果またエピソードを用意する作業に入ってしまうのです。どうにかして一度、自分のエピソードを話して会場が大爆笑するみたいな機会がほしいなあと思うのですが、それって

偉いひとの冗談は人間は本能的に面白く感じるという性質を持っている。おやじギャグを笑ってもらえないことを気にする人はギャグを磨くよりも偉くなったほうが早い。

年を取るというのはどういうことか考えてみた - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

みたいな話でしかないなあと途方に暮れるのです。

 

死ぬときに思い出したいこと

hase0831.hatenablog.jp

こう、楽しかった過去を思い出して涙を流すこととかあるんですが、そのときに思い出す楽しかったことってすごく些細なことだったりします。ふたりでスーパーに買い物に行ったときとか、相手が飲んでたジュースのネーミングのおかしさにふたりで笑った瞬間とか、互いの持ち物のセンスに言及しているシーンとか、デートとかじゃなくてもっと事務的な予定について話し合っているときとか、台所で並んで洗い物をしているときとか。あとは食事を一緒にとるときとか。これは先日のエントリでも書いた通りです。

k-point.hatenablog.com

結婚しているわけでもないのにそういう日常的なことを共有しているのって、ふと我に返ったときに考えるとおかしな気がします。だって、もっとデートとかクラブに行くとか、非日常的なことをしていた方が楽しいはずなのに。でも日ごろの小さなこと、サルの毛づくろいみたいな、そういう些細な出来事が互いの信頼を作っているような。そしてその積み重ねが後々幸せな思い出として残るなんて、よくわかるような気がするけれどなんだか不思議です。というかその、まるで結婚しているような感覚が楽しいのかもしれない。結婚したことはないので結婚に幻想を抱いているのだとは思うんだけど、でもそれでも楽しくて幸せなことだったのは間違いない。ぼくが死ぬときに思い出したいことって、結構こういうことなんじゃないかなあと思っています。

とはいえ、非日常も楽しいのでそれはそれでちゃんとやっていきたいわけです。これまでで一番うれしかった贈り物は、それこそ彼女の誕生日に仕掛けたサプライズに対する感想の書かれたメールだったりします。だからかつての日常を振り返ったときに、それとのテンションに大きく差がつくくらい非日常も良いものにできればいいなあと感じます。わあ、そういうのすごくいいな。自分で書いててなんだけど、すごくいいな。こちらからは以上です