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砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

場末のエリート、就活の思い出(ほんのちょっと)、ボンヤリ

駅前の広場からちょっと路地に入ったところに居酒屋がある。小さな店だけどあまりさわがしくないし、コーンのかき揚げがおいしいのでたまに行く店だ。近頃体調を崩していてまったく酒が飲めなくなったんだけど、なんとなく飲みたい気分になって一人で入った。ちなみにまったく酒が進まず、ジョッキよりコップのほうが飲みやすいと思ってうっかり頼んだ瓶ビールを時間をかけてなんとか飲みほした。

そのときに隣のテーブルに座っていた40代くらいのサラリーマン二人。かっこいいスーツを着ていて顔つきのしっかりした彼らは、郊外のベッドタウンとガチの田舎の境目に位置するその土地にはやや不釣り合いな気がした。話を聞いていると仕事への誇りとか、仕事のしがらみになる社内政治の話とか、会社のかわいい女の子の話とか、意識の高い話と緩い話の混ざりあった彼らの会話は、一人で無理やりビールを流し込むぼくにとってはちょっとうらやましかった。

でも、そんな意識の高い人がいるような会社、近くにあったっけ、と思っているとレジの近くに予約のお客様一覧みたいなのが貼ってあった。そんなもの他人に見える位置に貼るなよ、と思いつつ見てみると、「そんぽさん」と書いてあった。ああ、そういえば某損害保険会社の支店が近くにあったっけ、と思い出し、2人なのに社名で予約とか取るんだいやでも社員でボトルのシェアとかしてんのかな、とか思った。

さかのぼって大学生のころ、ゼミの同期が「某損保の説明会に行ったら女の子がみんなかわいかった」と話していたことを思い出す。なんで損保なんかにかわいい女の子がいるんだろうと当時は思っていたが、ふたりの「そんぽさん」の話を聞いても実際にかわいい女の子がいるらしい。というか、当時ぼくは経済学部卒業見込みの大学生として就活していたわけだが、就職先として損害保険会社なんて思いもつかなかった。経済学部のくせに金融業界も知らんのか、と言われても金融専攻じゃなかったしアカデミアにいても企業について詳しくなれるわけではないのだ。もちろんテレビCMとかで損保の会社が存在することは知っていたけど、自分の就職先として考えたことが全くなかったのだ。後に損保のインターンに参加した知人が周囲からすごいと言われているのを見て、損保は就職先として割と人気があるのだということを知る。

そんなことを考えながら店を出ると、近くにオシャレなイタリアン居酒屋があるのを見つけ、今度はそこに行こうと思った。あと前にもこの居酒屋に一人で来た時、深夜に店を出て歩いていると道の真ん中で素振りの練習をしている人(しかも左打ち)を見たのだが、すれ違った直後にもう一度見ようと振り返るとそこには誰もいなかった、という実にボンヤリした心霊体験を味わったことを思い出した。このことを誰かに話そうと思って話してないなー、ということも思い出し、こうしてブログに書きました。現場からは以上です。

終わりの残像誰かが見せつけたって/はてなブログ5周年ありがとうキャンペーン第2弾

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

なんか最近投稿されたものを見ると「5年後はアラサー」って書いてる人多いですね。そういう年代の人がブログを書きたがるっていうことなんでしょうか。まあそれはともかく。

特撮のアルバム『5年後の世界』とか、福山雅治のアルバム『5年モノ』とか、5年という期間は何かと1つの区切りとして用いられます。そういえばこれ2つとも名盤ですね。ミュージシャンは5年寝かせるといいものを作るのかもしれません。あと同じく音楽関連ですが、クラシック界(というか音楽之友社)では生誕もしくは没後のアニバーサリーを5年周期でやりがちらしいです。10進数をしばしば用いる我々には10の半分である5もまた区切りとしてちょうどいいものなのでしょう。

 

5年後の世界

5年後の世界

 

 

5年モノ (通常盤)

5年モノ (通常盤)

 

 

かくいうぼくも5年後に一つの区切りを迎えることが決まっております。今の会社ではちょっと独特なポジションにいて、それが終わるのが5年後なのです。詳細は伏せますが、要するに5年後までに結果を出せ的なプログラムに参加しておりまして、その点においては5年後という言葉には少しプレッシャーを感じるのです。5年というのがまた区切りがいいからという理由で設定された感じでして、実際に成果を出そうとするとあんまり変わったこともできない。大変につらい。とはいえ、ちゃんと結果を出せていればかなり好き勝手に仕事が進められるという期待もありまして、その点では少し楽しみでもあります。

そういえばこんなエントリ読んだんですよ。

www.movablevie.info

書いてあることはごもっともでありますし、みんなそう思ってるんだろうなという類のものではあります。個人的には将来は現在の地続きでしかないと思っているので10年後もある程度想像できちゃうんじゃないかな~とは思うのですが。技術の進歩がどうのこうのとは言ってもインターネットだって今の形になるまで20年かかっているわけだし。でも昨今将来はどうなっているかわからないという考えが幅を利かせているようで、実際そんな要因がなくともみんなの中にそういう期待があるということは、少なからず変わっていくのだとは思います。

以前好きだった女性と、互いに将来の夢について語った(と書くとなんだかロマンチックですが、もっと雑な感じのサムシング)とき、彼女は専業主婦になりたいと答えた一方、ぼくは将来のことなんてわからないからその都度気が向いたほうを選ぶと答えた覚えがあります。ぼくは彼女の意見を尊重したいとは思いつつも、様々なことに興味がありながらほぼ専業主婦になってしまい、そんな自分は何も生み出さないだめな人間だという意識を持ち続けた実母を見てもいるので、彼女に対しても「もっと好きなことやればいいのに」と思いました。彼女は彼女でぼくのことを身を固めようとせずヘラヘラしてる軽薄なやつと思ったかもしれない。今回はぼくと彼女という二人をたまたま並べましたが、人によって将来の予定というのは違うというのは大いにあり得ることであり、その意味においてはやはり、将来を見通すことは難しいのかもしれません。

とはいえ5年後に結果を出さなければならないぼくは何かしらの見通しを立てておきたいところではありまして、仕事しつつ趣味をやりつつ勉強しつつそうだ恋愛とか結婚とか育児とかもしたいなあと考えるときりがないのです。そこに社会の変化というファクターも加わるわけで、さてどうしよう。

ただ、ぼくは結構ブレないタイプでして、小学6年生の時に「潔い」という言葉を覚えて以来「よし、潔く生きよう」と決めまして、それ以来嘘や陰口は一切しないことにしました。当時なぜそんなことを思ったのか今となってはよくわかりませんが、たとえ5年後だろうとその点に関しては変わることがないという気がしています。その根拠は、これまでできたからというものでしかないのですが、まあきっと大丈夫。孫正義は100年後の事業計画を立てているという話がありますが、ハゲててもそれができるんだったら、まあおれの5年後ぐらい計画通りに進んでもいいじゃないかとか、それぐらいできないとあのハゲには20分の1も追い付けないのだなと考えるとやる気になります。だからきっと大丈夫。なんとかなるでしょう。

とりとめのない文章になりましたが、この記事でも5年後ぐらいなら何とかなるって書いてあるしね。実際は「5年が限度」って書いてあるけど、まあそれはいいじゃない。

cybozushiki.cybozu.co.jp

現場からは以上です。

林檎がおいしい/最近買った本

新宿は豪雨、なのかは知らないけどリンゴがおいしい。あれは受験生だった冬、利用していた駅の近くのスーパーで1個250円ぐらいのリンゴを買って、そのおいしさに感動して以来年に2回ぐらいリンゴブームが来るのですが、今回のもそれです。先日訳ありリンゴを買いまして、これがすごくおいしい。形が不ぞろいなだけで味は良いというのは知ってはいたのですが、結構な量がまとめ売りされているので、1回の支出額を考えるとバラ売りのちょっと高めのリンゴを買うことが多かったのですが、これはよかった。おいしいリンゴが飽きるまで食べられるというのは幸福感がすごい。甘いうえ硬さもしっかりしていて、ほぼ理想のリンゴでした。2日で5個ぐらい食べましたが、まだ2個ほど残っているというのがうれしくて仕方がない。明日はホームランだ!

ところで最近、自分は本を読み終わる前に新しい本を買って、既に働きながらでは何年かかっても読み終わらない量の本を持っていて、そのうえPDFでも論文とかどっかのプレゼン資料とかJIAAネイティブ広告ハンドブックとかをため込みまくっていて、こんなことをしていて果たして意味があるのか。

うるせぇバーカ!

 

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

 

 

君にさよならを言わない (宝島社文庫)

君にさよならを言わない (宝島社文庫)

 

 

四月になれば彼女は

四月になれば彼女は

 

 

 『ウンコな議論』は山形浩生の代表作だと思っていて、本編よりも長い訳者解説に文庫版あとがきが追加されてこれはもうお前の本じゃねえか感がある。それはともかく内容的には世間の議論に感じる違和感をいい感じに文章にまとめてくれていて痛快。とはいえ哲学者の書いた概念的な話ではあるので、具体例に関しては飯田泰之『ダメな議論』とか読むといいかも。いや、あれはちょっと違うか。

七月隆文は『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を読んで大泣きしたので期待して買ったけれど、ちょっと読んだ限りではイマイチかな。うすうす思ってはいたけれど、当時ぼくは疲れていたんだと思う。なんでコミケに行く道中であれ読んで動けなくなるほど泣き出すのか。うん、やっぱりおかしかったんだな。当時より元気になったのがわかったという点では買ってよかった。

川村元気はあちこちで名前を見るけれど何者なのかよくわからない人だったのが、帯に新海誠星野源という今最もカネを動かしている二人がコメントを寄せていたので思わず買ってしまいました。今調べたら、血界戦線のプロデューサーもやってたのね。すげえ。

最後の『それでもなお、人を愛しなさい』は、タイトルを見つけて買わずにはいられなかった。なんかこう、お前は間違っていないんだといわれている気がして。近頃おれは幸せになれない恋愛ばかりを繰り返す独身女性なのではないかと思えてきた。現場からは以上です。

業界の外の先輩がありがたすぎて震える

今日は昼間に小さなコンサートに行った後、お世話になった先輩と食事へ。こう書くとなんだかすごくよい休日のようですが、実際にとてもよい1日でした。

その先輩は、強いて関係性を表記するならば先輩としか言いようがない人で、特に同じ業界にいたわけでもなく、知り合いの知り合いぐらいの曖昧なポジションであり、でも気さくに話しかけてくれるしそこまでそっけなくはないよなあという印象の方でした。今日たまたまこちらで用事があるとのことで、調子に乗って「どれだけでもご案内しますよ!」なんて言ってたら食事に付き合ってくれた、そんな感じでした。

その方は非常に美しい女性でもありましたので、内心やったぜウェヒヒヒなどと思っていたのですが、そんなことよりも業界の外の人と話すのっていいなと思いました。言葉にしてしまうと陳腐ですが、やはり同じ会社の人とだけ話していると視野が狭くなるというか、心に張りがなくなっていく感覚があるのですよ。自分のアンテナで電波を拾うことができなくなっていくというか、今自分がいる場所でのコードを守ることだけに集中してしまって、何か大事なことを忘れている気がするけどそれがなんだかわからないみたいな、今書いてて思いついたんですけど、うっすら霧がかかったところで自分が弾力を失ってドラクエのスライムみたいになってしまうというか。なんにせよ、ぼんやりとした不快感・不安感がある。それが今日かなり改善されました。違う業界には違う業界なりの悩みがあり、でも共通する悩みもあり、同業者だとただの愚痴の言い合いになってしまうところが、ただの近況報告すら新鮮に聞こえる感じです。

そんな休日を経ていまや僕の心は弾力を取り戻し明治果汁グミのごとき充実ぶりです。明日はまた仕事なのが憂鬱ではありますが、またこういう機会があるのならちょっと頑張ってもいいかなという気分です。先輩ありがとうございました。せっかく奢ってくださったのに、自分の分も出せないなんて男としてのメンツが云々言ってしまったのはちょっとカッコ悪かったなと反省しております。今度は奢らせてくださいね。

 

 

cybozushiki.cybozu.co.jp

新学期の思い出とか

まったく新学期の季節ではないのですが、過去に別の場所で書いた日記が大変エモかったのでこっちにも掲載

 

***

唐突に、あいうえお順って甘酸っぱいよね、という話。

高校までは年度初めとかテストのとき、あいうえお順で着席していただろう。黒板を正面にして左から縦に5,6人くらい並んで、全部で7列とかになるかな。それの話だ。僕は”マ”ツシマなのでいつも教室の右端、廊下側の席だった。でさ、クラスが変わってもなんとなく似たような風景だった気がするのよ。僕の前後には同じくマ行とか、あるいはハ行の人が座ってて、文房具貸し借りしたり雑談したりする。プリントなんかを後ろに回すときはヤ行とかワ行の人の顔が見える。隣の列ではタ行の人とナ行の人が仲良くしてて、少し遠くを見るとサ行の男子が密集してていつも盛り上がってて、窓際を見るとア行で割とキラキラ系の女子が並んでるの。これは完全に個人的なイメージであって、イニシャルで人の性格まで決まるはずはないんだけど、しばらく同じ場所に留まってるからクラス内で小さなグループがいくつもできる感じって共通体験としてあるんじゃないかなあ。どうなんだろう。

社会人になってからはそんなことってあまり無くて、別に無くても困らないんだけど、あの名前だけで並べられてるのにそこから人間関係が広がっていく感じって楽しかった気がする。で、これを今の生活、例えば会社の同僚なんかで置き換えて考えてみると面白かったのだ。おれはこの人と最初に話してたのかな、とか。

僕は別に中学とか高校だからといって必ずしも楽しいものだとは思わないけれど、なんとなく、ああいう風景を見ていたっていうのが今になってありがたいもののように思えてきたのです。なんとなくセンチな気分になったのでこれを”甘酸っぱい”としておきたいと思います

I'm watching you

タイトルは1984ですが早川書房に思いをはせていたところハリ・セルダンに憧れる人はいてもカレルレンに憧れる人っていないよなじゃあおれがなろうブログの名前も変えようと思ってこのエントリ上げた後に変えますご機嫌いかがでしょうかこんばんは。

なんだか今日のはてな村を見ていると飲食店のキャンセルで盛り上がっていて、まあ当事者が「めんどくさいこと」と断って書くぐらいなのでそれはもうめんどくさいのですが、日常的にめんどくさがられているわたくしにおきましてはこの世にはこんなにめんどくさい人もいるのかと感動いたしまして、おお同志よ!と肩を抱いて喜びたくなりました。そうそう、そういうこと言いたくなるなるですよね。せっかくなのでリンクも張ります。

zuisho.hatenadiary.jp

あとツイッターの件もありがとうございます。

ツイッターといえば、オモコロでこんな記事が。

omocoro.jp

今の時代ではあっても不思議ではないですが、こういうことってあるんですね。この記事では思春期恥ずかし系ギャグとして締めてますが、こういう監視社会についに到達したかという感慨もひとしおであります。ぼくの会社は給与明細が電子化されていて、更新されたらすぐメールで案内が来るのですが、そこに「いつもごくろうさまです。これからもがんばってください」とか書かれてるわけですよ。一斉送信のメッセージにこういう情緒に訴える感じのことが書いてあるの、大変にディストピア感があってよいですね。

要するに何を言いたいのかというと、今日宴会の席でこのブログを書いてることをぽろっと言いましたら「キモい」「キモい」と言われまして、なにおう、いつぞやのエントリでは「エモい」「エモい」と書かれたもんね!とぷんすか憤りワックス無しでも怒髪天を衝かんばかりに怒っていたのですが、上記リンクのような予想外の反応に困ってる人とか、恐怖の監視社会を見てなんだか落ち着いたので良しとします。今日一緒に飲んだ人、このブログにたどり着いてたら連絡くださいね。うふふ

最近買った本

残業しまくりでお金入りまくりなので本買いまくりですよ。ヒエーッ!

 

パフォーマンス評価入門―「真正の評価」論からの提案

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倫理学の道具箱

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100%幸せな1%の人々

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「聴く」日本国憲法

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現代マーケティング研究の潮流

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計量経済学 (y21)

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