砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

何かを始めるのに遅すぎることはない

読みました。

note.mu

マウンティング(書いた本人に自覚はないかもしれませんが、ブコメ見るとそんな感じなので)にわざわざ言及することはないかもしれませんが、ちょっと思ったことをつらつらと。この記事のタイトルは大好きな映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」から取りました。みんな見るべき(ブコメから学ばない姿勢)

 ・仕事の1次ピーク云々

元の記事でも「1次」と言っているように何度かあるピークの1回がそこに重なるだけで、他にもピークはあるんだしいいじゃない。「人生の勝負時」に子供がいない方がいい、と書いているようにも読めてなんだかなーと思う。運動会で走れなくたっていいじゃない。父は僕が小学生の時にはもう40代だったけれど、運動会ではその太った体を活かして綱引きで大活躍したぞ。そして無事、ひどい筋肉痛に苦しんだ。子供からしたら父親の失態(というほどでもないが)だって愉快な思い出になることもある。「運動会で走る(そして勝って子供に喜ばれる?)」なんて本人のプライドの問題でしかない。

・20代の遊び、40代の遊び云々

僕はまだ40代ではないので40代の遊びは何なのか知らんが、元記事の筆者も1987年生まれらしいのでまあいいだろう。それだけになんで自信満々に書けるのかはわからんが、観測範囲が狭いと思う。僕の周りには男女で飲むのが趣味の20代はあまりいないけれど、パチンコが趣味の人、ゲームが趣味の人、アイドルのライブに行くのが趣味の人もいればローカル線に乗って古い街並みを見るのが好きな人、映画を見る人、数学の勉強をする人などなど、いろんな人がいる。40代になってどう感性が変わるかはわからんので何とも言えないけれど、別に年齢に任せなくてもいろんな趣味の人はいる。それにそもそも遊びなんて本人が満足していればいいのだから、そこに「それを削って子育てすべき」なんて価値判断は余計なお世話だと思う。

父親のコミュニティ云々

「若くしてそこに飛び込めば成長が……」って、自分の子供と周りの父親をダシにするのはやめてほしい。それに自分より年上の人が父親コミュニティにいるってことは、自分の言ってる「20代で子育てすべき」っていうのと矛盾するじゃないか。サンプルサイズ小さすぎ。自分だけの体験で言えるのなら、仕事にも利益がどうこうみたいな客観的なふりをした表現を使わずに自分の言葉で語ってほしい。

で、一番アレだと思ったのはこれ。「女性は子どもを持つことに対して当事者性が強く、しっかりとキャリアを考えている」いや、世間の偏見で考えさせられざるを得ないだけですから!早く結婚して子供が欲しいと思っている人もいるけれど、世間になんとなく流布する「何歳までに……」とか「子を持って初めて……」とかフェイスブックの投稿に急かされてなんとなくそう思ってるだけの人も多い。「自分がこんな子供なのに子供を持っていいのか」みたいなことを言う人だっているし、この前40代子持ちでそう言ってる人もいたぞ。実際、話を聞く限りでは子供が欲しいと思ってる割には戦略が甘い人もいる。このご時世に年収1000万云々を言う人は本当にいるんだよ。その点で、もちろん女性が生まなくてはならない現状では当事者性は高くならざるを得ないけど、当人たちの内面的には、それが自ら望んだものではない場合もままあると思うのだ。

ここから男女関係ない話になるけど、「世間」が決めたタイムリミットを前にして何かを諦めてしまう人は多くて、それを見ているのが僕は本当につらいのだ。「大学院出たら結婚も遅くなるから」知的で美しいあなたの価値がパートナーの有無で損なわれることがあるわけないだろ!「この年じゃあ留学なんてできないし」あなたの圧倒的な個性はむしろ海外でこそ輝くはずなのに。「本当は〇〇がやりたかったけど」うるせえじゃあおれが接触一切なしのパトロンになればいいのかおれぐらいのてんさいならそんなことだってたやすくやってみせるがそうすればいいのかちくしょうなんだよかんたんにあきらめてるんじゃねえよおまえはおまえののぞむままにやってるのがさいこうすぎてさいこうにきまってるだろこのやろういいかげんにしろよてめえ

イムリミットがあると思ってしまってる人って、なぜかみんな頑なで、それが揺るぎようのないものだと思ってる。でもそんなことはない、やりようはある。その場その場の不都合をある程度許容して、でも自分のことは曲げない。そしてそこで関わった人には精一杯付き合う、パートナーとか子供とか。そうやって生きててもらえると、ぼくの目からはとても魅力的に映るので、ぜひそうしてもらいたいのだ。それが安易なべき論に左右されることなどないように、自分の意志もしっかり持っていてほしい。わが愛すべき女性たちと、実はより愛すべき男性たちには。

毎度のことながら最後はよくわからなくなってしまうこのブログだけれど、今回は時事ネタに素早く言及できた珍しい回ですな。ところで元記事の筆者、画像検索したけど顔が小林銅蟲に似てますね。はあ彼女ほしい。現場からは以上です。

かわいい・かわいい・かわいい

職場の、とある先輩は娘さんが去年の末に生まれたばかり。育児の中でのちょっとしたことを話してくれるのだが、これがとてもかわいいのだ。

先日は娘が初めて寝返りを打ったと話していた。育児の一大イベントと言えば「立つ」「歩く」「話す」だと思っていたが、なるほど「寝返り」というのもあるのである。ちなみにぼくは幼いころ寝返りが打てなかったばっかりに頭の形が歪んでしまい、母から「お前は頭の形が変だ」と言われ続け、コンプレックスを抱くに至ったほどである。だから他人の子供の話とはいえ、なんだかうれしくてはしゃいでしまった。そんな祝うほどのことじゃないよ、と先輩は言ったが、そもそもそんな話を他人のぼくにしているあたり、よほどうれしかったんじゃないかと思う。そして、当の娘も、寝返りを打つことはできたがひとりで元に戻ることはできないらしい。かわいい。

先輩の奥様が子供と一緒に職場に来たこともあった。とてもかわいい。圧倒的な「許される力」のようなものと、とてつもない「これから生きるぞ!ぶっ生き返す!」みたいなエネルギーが、なにはともあれ見る者に「かわいい」という感情を抱かせる。ぼくはあまりのかわいさに「はわわ」などと言いながら挨拶していたのだが、そしたら娘、口からなんか出た。おい、なんだそれは。父母曰く「よく出てる」らしいので、よだれかさもなくば乳児特有のサムシングだと思うのだが、なぜよりによっておれの前で出す。おのれ、貴様には数年後におれを「おいたん」と呼ばせ数十年後には「おじさま」と呼ばせる刑に処す。かわいい。

他にも普段から「あー」とか「うー」とか言ってるとか、ハローキティの人形を見せるとニヤリと笑うとか、いろいろ話を聞くにつけ、かわいい。ぼくはどちらかといえば、子供だからといって必要以上にかわいいとか言うタイプではなかったのだけれど、なかなかどうして、今回はかわいさが止まらない。かわいいは正義だ。身をもってそれを実感している。

ところで前述のぼくの頭の形の話だが、坊主頭にしたときに他の人に見せると、そんなに形が変なわけでもないらしい。とすると、今思うにぼくの母が気にしすぎだったのかなという気がする。そこで気づくのは、娘が寝返りを打つようになったことを喜ぶ父親も、かたや寝返りを打つ前の息子をよく覚えている母親も、同じように成長するわが子のかわいさとか、育児のつらさとか、将来への期待とか、そういったものを共通して抱えていたのかなあということ。なんだかそう思うと、母に一筆手紙でもしたためねばならんかという気分になりますな。いや、もちろん先日の母の日には花を送りましたことよ。

余談だが、先輩の娘を見た同じ職場のパートさんから「結婚しなくていいから子供だけでもはよ作れ!」と言われた。もちろん冗談ではあるが、これを今髪を切ってもらっている美容師さん(いきものがかり似)に話したところ「いや、先に結婚はすべきなんじゃないですかね」と返された。もちろんそうなんだけど、まじめか。現場からは以上です。

「愛」にもう恥ずかしがらない/書評 松浦『泣きたくなったあなたへ』

例によって酔って書いてはいるんですけれども。

先日、休日に友人に会いに大阪に行きまして。その友人は自分の思い描いたキャリアではないにしろとても充実した日々を送っているようで、でも相応の疲れもたまっているようで、なんと声をかければいいか迷いました。「数キロやせた」という彼女の声を真に受けて「油を飲め」と冗談めかした答えをしつつ本気で心配しながら過ごしておるわけなのですが、その道中で友人(&その同僚の皆さん)へのお土産を新幹線の網棚に置き忘れたのですよ。正直、網棚に乗せる時「あーこれ土産だけ置き忘れるパターンだわーでも現時点でわかってるから結局大丈夫なやつだわ何せおれ4年制大学卒業してるしなー相応の判断力と教養を身に着けたことを国に保証されてるわけだしなー」などと思っていたのですが、結局忘れているあたり現代の高等教育の在り方に疑問を投げかけずにはいられません。しかしながらそんな中でなぜハッピーな気持ちでいられたかと言えばこの本を道中読んでいたからなのです。

泣きたくなったあなたへ

泣きたくなったあなたへ

 

 正直、松浦弥太郎は基本いいこと言ってるけれども当たりはずれの大きい書き手だと思っています。例えば『すてきな素敵論』はぼくにとって安易なビジネス書程度の価値しかありませんでした。それでも、この本はなんだかとってもすてきな1冊に思えたのです。なぜか?

まずは精いっぱい人を思いやる、精いっぱい人を愛する。見返りを求めずに。

そうすると、まれに自分の精いっぱいを超えて、相手が思いやってくれたり、愛してくれたりする時がある。もちろん、無視されたり、してくれない時もある。でもね、そうやって与えた分より、多く返してくれる時ってあるんだ。その時の自分の精いっぱいを超えた部分というのは、自分にとって初めて体験する、思いやりや、愛され方だったりするけど、それが、それからの自分の思いやりと愛し方の、なんというかバリエーション(この言葉変だけど)に増えるというか、学んで身につけるというか、種になって、それまでの自分の精いっぱいに足されて、それまでよりもほんの少し、人を思いやれるようになり 、愛することができるようになるような。

「見返りを求めないことが本物」という主張はあちこちで見られますが、大いに賛同する一方であまりにも自己犠牲が過ぎると思うのです。われわれ日本人は古来よりウルトラマンなど、「なんや知らんけど自分を守ってくれるいいひと」を典型的なヒーロー像ととらえているので、自己犠牲はひたすら良い美徳のような印象があります(実際は月光仮面とか仮面ライダーとかそこそこ自分のエゴで戦う人もいたわけですが、それでも身を削って戦うという意味では自己犠牲的であるといえます)。とはいえわが身を数ってまで何かをしようというのは、われわれ一般ピーポーにはそれはそれは難しく、だからこそ架空のヒーローに理想を投影してきたのだと言えるわけです。

翻って「愛」みたいな話をすると、やはりこれも見返りを求めずにはいられないわけです。愛されるよりも愛したいマジで、しかしながら愛されないとあっさり人は死にます。愛なんて言って、結局人は打算的に生きるんじゃないか、大人は汚いやいという葛藤をしつつも、まあなんとなく生きているわけですよわれわれは。

じゃあそういうものに、松浦弥太郎は何を言っているかというと、「見返りを求めず愛せ」というわけです。おいおいそんなことができるに越したことはねえんだよ、でもできないんじゃねえかそこんとこわかってんのかよ弥太郎さんよう、と言いたくなりますし、安易な自己啓発本にも似たようなことは書いてあるでしょう。でもそこで彼は、「これは何よりもよいものだからなにはともあれそうせよ」というよりはもっと、自分自身でも現在進行形で悩んでいて「うーんとにかくわからないけどきっとこうだから、きっといいことあるから、ぜひともこうしておくと後々後悔しないんじゃないかな」というスタンスで書いているような気がするのです。

ところで「書く」ことって結構不確実なもので、写経みたいに別に書いてある文章をそのまま写すのだったら話は別ですが、書いているうちに最初に主張したかったことと最終的な結論が変わってしまうことが個人的にあります。助詞や前置詞の微妙な使い分けによって文章のニュアンスが変わってきたり、そういう文を集めて眺めた時、あれ、これってAじゃなくてBって言わないと論理的におかしくなってくるな、でもこんなこと書きたかったんだっけ、でもこっちのほうがもっともらしいし書いていて筆ものってくるぞ、みたいなことってよくある。「~であることが疑いようのない事実であることは明白であるといえることであることであろうことのように考えられる」みたいに表現を濁せばあいまいなまま残して置けたものが、「~である」と言い切った時点で違う印象を持つようになる。そういうことに対する戸惑いが書いている最中には頻繁に起こって、なんだかよくわからないがハイになってくる。

そういう戸惑いや迷いを、松浦弥太郎は文章に残している、ような気がします。上記の引用文などは語り口調だし、なんとなくそういう雰囲気があるだけかもしれないんですが、戸惑いを感じながら文章を書くこと、その文章が我々にとって半直感的であっても説得力があること、そしてその半直感的ながら「よい」ものに向かって読者の背中を押してくれること、それらをすべてさらけ出しているところに、ぼくは松浦弥太郎の魅力を感じます。この『泣きたくなったあなたへ』は読者の隣に座って語り掛ける体で書かれているけれども、とにかくそれが、ぼくらがどうすることもできなくて、投げ出してしまいがちなことを取り上げては、本人も真摯に悩んでいて、なんかわからないけど、こうしてみるのがいいんじゃないか、ということを必死に伝えてくれているというか。

ところで愛ですが、個人的には見返りを求めずにやりすぎて、一時期とても疲弊してしまったことがあります。相手のことを考えに考えた結果、自分の時間とお金ばかりを消費することになってしまったり、相手がそれを望んでいないことを明確に表明しているのにそれを受け入れられなかったり。今後やり方は変えていこうとは思っていますが、かつてのしんどさを乗り越えてなお人を愛そうと考えていた折、ちょうどこの『泣きたくなったあなたへ』を読んだわけです。上に書いている通り、それは遠方の友人を土産を持って訪ねる最中でした。なんというか、これでいいんじゃないか、そんな気がしたのです。自分がされたら嬉しくて、相手も喜んでくれそうなことはなんだろう。何気ないことの中に、相手に気を遣わせず素直に喜んでもらえるようなプラスアルファをどうやって仕込んでいこう、そういうのでいいんじゃないか、と。

「憎むな、殺すな、赦しましょう」by川内康範

「どうせ塩を送るなら、米もおかずもドーンと送れ!」by島本和彦

「愛ある限り戦いましょう。命、燃え尽きるまで」by美少女仮面ポワトリン

どれも大好きな愛の言葉です。ほどほどに、死ぬまで愛し続けましょう。現場からは以上です。

好きな映画ベスト20

久しぶりの休日に、でもやることが多くて、先延ばしにしたい気持ちを抑えつつやっていかなくちゃいけなくて、大変に余裕がない。こんなときは好きなことを書こう。アフィリエイトとかやってないのでアマゾンのリンクはないです。

1 ガメラ2 レギオン襲来(1996)

2 ニュー・シネマ・パラダイス(1988)

3 七人の侍(1954)

4 ロッキー・ザ・ファイナル(2006)

5 アバウト・ア・ボーイ(2002)

6 ぼくは明日、昨日のきみとデートする(2016)

7 007 カジノ・ロワイヤル(2006)

8 男として死ぬ(2009)

9 ロッキー(1976)

10 太陽を盗んだ男(1979)

11 ブルーバレンタイン(2010)

12 (500)日のサマー(2009)

13 GODZILLA ゴジラ(2014)

14 007 リビング・デイライツ(1987)

15 オデット(2005)

16 プラダを着た悪魔(2006)

17 ダークナイト(2008)

18 Vフォー・ヴェンデッタ(2005)

19 ボーン・スプレマシー(2004)

20 ヱヴァンゲリオン新劇場版:破(2009)

こういうのにありがち、13ぐらいから順不同です。とりあえずわかるのは、007はハード路線が好き、怪獣映画は怪獣が”地球の味方”なやつが好き、ということでしょうか。あと、シルベスター・スタローンジョアン・ペドロ・ロドリゲスがそれぞれ2本ランクインしており、カタカナ表記で名前が長くなる監督が好きなようです。今後はイエジー・スコリモフスキモフセン・マフマルバフを好きになろうと思います。現場からは以上です。

挑発(といってもセクシーではないやつ)

ねえ、あなたって結局何がしたいの?

偉そうにしたかっただけなの?勉強して、それで人から賢いねって言われることが目的だったの?まあ、学生の頃は勉強さえしてれば偉いね、賢いねって家族も先生も言ってくれたよね。でもさ、高校出て以降は、今まで勉強してきたことから何をどう考えるか、それをもって何をするかが大事なんじゃないの?ほめられるのは確かにうれしいよ。実のところ、学生のころと同じように、世間でよいと言われていることの勉強を続けていればほめてくれる人って、社会に出てからも結構多いよ。だからってさあ、それをあなた自身の偉さと錯覚しちゃいけないんだよ。世間の人がいいって言ってるからって、それをあなたが鵜吞みにして自分の偉さと勘違いして、そんな偽りの権威でもって他人をバカにするようなことは、絶対にしてはいけないことなんだよ。そこには実体が何もないし、何かを生み出すようなものではない。もっと言えばあなた自身やあなたを応援してくれた人たちを辱める行為なんだよ。あなたはそれをわかってるの?

あなたはそうやって、手間を惜しまず手を動かして何かを身につけるでもなく、物事の上っ面を撫でまわして悦に入ることしかしていないのに、たったそれだけのことを根拠に自分を高いところに位置付けて人を見下して、それがあなたのしたかったことなの?そうして出来上がったあなたの将来って、簿記2級とTOEIC700点を履歴書の飾りとして持ってて、司馬遼太郎塩野七生を信奉する、自分にとって使い勝手のいい駒を量産するだけの何かだよ。はっきり言うけど、それって害悪だから。なに、この日本においては特別なものでもない。そんなやつばっかりだよ。でも、そこから抜け出そうって話を僕らはもともとしてたんじゃないの?なんで自分かわいさに本来の目的をこうもあっさり見失ってしまうんだよ!バカかてめえは!

うん、ご想像の通り、ぼくは自分のことを大衆に染まらない、自分こそが根本的な革命を成し遂げる側の人間であるとうぬぼれながらこれを書いている。ぼくだって自分がかわいいから自分の意見を支持している、これはきっと間違いないだろう。でも、ぼくは絶対に人を馬鹿にはしないんだ。なぜなら自分がされたくないから。そして自分の大切な人が馬鹿にされていたらひどく傷つくから。考えてもみてくれ、あなたが馬鹿にしている目の前の人は、家族がいて、友達がいて、恋人がいて、大なり小なり夢を見ている、尊重すべきひとりの人間だ。あなたと何も変わるところがない。それを馬鹿にしていると、それがいつかあなた自身に返ってくるんじゃないか。ニーチェを引用するまでもなく、すべてのものがあなたを覗き込んでいる。あなたが馬鹿にしたから、あなたは馬鹿にされる。それでいいの?ぼくはよくない。あなたも誇りある人間だ。尊厳を持ち偉大なことをなすべきひとりだ。そんなあなたが馬鹿にされていたら、ぼくはつらい。そしてあなたを応援してくれている人たちも苦しむだろう。それでいいの?いいわけないだろうバカが!人間なめんじゃねえわよ!人間ってなあ、すげえんだよ!最高なんだよ!わかってんのかボケが!いい加減にしねえとえぐるわよマジで。愛せ!てめえを愛せ!そんでもって世界に示せ!お前の愛で世界を壊せ!死ね!生きろ!もういっぺん死ね!以上!

 

という文章を書くぐらいにはいろいろとやることが詰まって負荷がかかっておりますことよ。こうなるとやはりセクシーな方の挑発をしてくれる美女が必要なのではないか。ビーフシチューうめえ。現場からは以上です。

忙しいので愚痴

ファー 忙しい!

まず年度末!決算期だね。もろもろの調整でいろいろと考えることが多いよ!忙しいね!

次にためてきたタスク!出さなきゃいけないメール、片づけなきゃいけない服、片付くわけねえだろ!忙しいね!

そして資格取得!某資格を取ろうと学校に通っていたんだけれど、さぼり続けたせいで期限が切れそうだよ。学費の数十万円は家族に借りてもう払っちゃったのにね!忙しいね!

他にも体調!下痢&血便は相変わらずだし、最近疲れて家に帰るなり寝てしまうよ。前は職場が遠くて上司がクソなせいだと思っていたけれど、家から近くてまともな上司のいる職場に移動になってもすぐ疲れるようになったね!忙しいね!

忙しいね!

忙しいね!

忙しいね!

フゥーッ!

パーティを続けようって言われたら泣きませんか

15歳と16歳と17歳の時と!20歳と21歳の時も僕はずっと!待ってた!!

バンドに誘われるのをだろ!!!

ほら、あの、才能を見出されたい欲というか。月影先生恐ろしい子!って言われたいみたいな。いや、違うな、単純に人見知りだから、ほかの人が誘ってくれるのを期待するだけで自分から動くことができなかったんだと思う。実際にそこまでバンドをやることに執着があったわけではない。楽器弾けないし。みんなが集まって楽しそうにしているのを見て、あの中に入りたいなあ、でもお前みたいなやついらないよって言われたらいやだなあ、いやでも案外すんなり入れたりして……でもなあ、というウジウジにもほどがある態度しか取れなくて、誰かにそこから引っ張り出してほしかったんだと思う。そういう過去があるから、今は楽しそうなことを思いついたら人を誘うようにしているけれど、それでも断られたりドタキャンされたりする。それでもなお楽しいことがあったりもするのでいいんだけど。

というわけでパーティを続けようとか踊り続けようとか、そういう歌詞の歌にとことん弱い。泣く。聞くや否や泣く。まあ、要するに好きな曲の紹介です。

今夜はブギーバック


TOKYO CULTURE STORY|今夜はブギー・バック(smooth rap) in 40 YEARS OF TOKYO FASHION & MUSIC|presented by BEAMS

とにかくパーティを続けよう

これからもずっとずっとその先も

このメンツ このやり方

この曲でロックし続けるのさ

そういう歌詞のある曲の筆頭、でもってこの動画ではラストにtofubeatsと仮谷せいらが歌ってるっていうのがまたいい。この2人といえば”21世紀のブギーバック”こと「水星」。狙いすました”パーティを続けよう”感に涙腺爆発。もう最高。キラキラ光るとこにおれを連れて行ってくれ。余談だけど、この動画を見てから自分の中で野宮真貴ブーム&戸川純バイバルブームが起きたというエポックメイキングな一本なのです。


tofubeats - 水星 feat,オノマトペ大臣(PV)

めくるめくミラーボール乗って水星にでも旅に出ようか

いつか見たその先に何があるというの

きらきら光る星のはざまでふたりおどりあかしたら

もっと輝くところに君を連れて行くよ

 

シュガーソングとビターステップ


UNISON SQUARE GARDEN「シュガーソングとビターステップ」ショートVer.

アニメ「血界戦線」のエンディングを見たときは衝撃が走った。原作の煮詰めたB級感を考えるとあまりにスタイリッシュすぎやしないかという本編の演出を、まあこれでもいいかと丸め込んでしまったうえ実にいい感じでまとめられてしまったあの一連の映像は、原作とこの曲の両方が持つ「パーティを続けよう」感がガッチリはまって抜け出せない、プロレス技で言うとナガタロックⅡみたいなサムシングである。ここでまた余談を書いておくと、とあるDJイベントでこの曲がラストにかかったものだから血界戦線EDよろしく隣の人と肩組んで踊ろうとしたんだけど、小柄な女性を巻き込んでしまって迷惑をかけた苦い思い出がある。その節は大変申し訳ございませんでした。

南南西を目指してパーティを続けよう

世界中を驚かせてしまう夜になる

 

「You Can't Stop The Beat」


Hairspray - You Can't Stop The Beat [Lyrics]

'Cause you can't stop the beat

 

ぼくが人に何かを語るとき、それは「パーティを続けよう」という意味であり、そしてそれはどこまでもアイラブユーなのである。実際に宴会に誘っていることもあるだろうし、鬱陶しい説教の場合もあるかもしれない(その場合は大変に申し訳なく思う)。それでも、それはあのときの自分がほかの人にしてほしかったことで、独りよがりで恐縮だが、ぼくにとっては最上級の愛情表現なのだ。願わくば、そのことがいくらかでも伝わらんことを。それじゃあ踊りに行こうか。ヘイ、ガイズ。レッツパーリーオールナイローン。

 

現場からは以上です。