砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

指とバナナとウインナー

小学生だったころのある日、集団登校中に上級生の友人と昨日のテレビについて話していた。僕は見逃していた番組だったのだが、確か実録系の番組だったはずだ。道ばたに切断された指が見つかり、あたりは騒然となったものの、解剖してみると骨が無く、実はそれがバナナだった、という内容だったと思う。友人が番組内での再現VTRをまねて「あれえ、この指、骨が無い!」と言っていたのを鮮明に覚えている。これを聞いて僕は「そんなことあるかいな」などと思っていたのだが、しばらくたったある日、家で母が「指が落ちてる」と言い出したのだ。見てみると確かに何かすごく指っぽいものが落ちてる。気味悪がりつつ近寄って見るとそれがウインナーの端っこだったのだ。そういえばさっきまで兄が朝食にウインナーを食べていた気がする。それが落ちたんだろうか。でもパンくずとかじゃあるまいし、食べこぼしにしてはやや大胆すぎやしないか。当時兄は小学生だったが、さすがにそこまで派手な食べこぼしをするだろうか。そして母もなんですぐ片付けなかったんだろう。そう考えると大変にぼんやりした出来事で、なんでこんなことをいつまでも覚えているのかよくわからない。が、折に触れて思い出すので書いた。現場からは以上です。

現世おれには味濃い祭り

先日からあげにさらに調味料を足すことへの戸惑いを書いた。

k-point.hatenablog.com

これは食べた店の土地柄と、僕自身が塩分の摂りすぎにうるさい母に育てられたこととのギャップで生じた戸惑いたと思っていた。しかしこの度、衝撃の記述を発見する。

portal.nifty.com

ウインナーは皮がパリッとして、さすが肉の万世の一品と思わせるおいしさだ。味付けは醤油とのこと。……ウインナーに醤油ってありだったのか。

他のメンバーは、ウインナーは塩コショウで味付けするものと思い込んでいたところの醤油。

おい、そもそもウインナーに味付けってしないだろ。あれそのままでじゅうぶんしょっぱいだろ。何考えてやがる。

この記事の中では参加者全員がウインナーに味付けするものだと思っている、という状況は僕にとってはもう恐怖である。我が家、というか母にしてみれば、あんなにしょっぱいものに塩とか醤油なんてかけようものなら血管プッツンするわよ、と言うだろう(実際こういう物言いをしていた)。別にウインナーがしょっぱいから食べなかったわけではなく、普通に食卓には上がっていたし、なんならケチャップやマスタードぐらいはよくかけていた。でもそれらはウインナーに無い酸味や辛味を付加するものであって、決して塩気をブーストするものではなかった。だからこそウインナーに塩って!醤油って!ただただ恐怖に震えるばかりである。

そういえば「つけものに醤油をかける」という人の話を聞いたことがあるし、前に吉野家で牛丼に醤油を回しかけている人も見た。恐ろしい、お母さんに怒られるぞ!ちなみにその2つは後でどちらも試してみたのだが感じるしょっぱさやご飯の進み具合が全く変わらないのも意味が分からなくて怖かった。ただそこにある塩分、カフカもびっくりの不条理さである。

ここまで書いてきて、単に幼少期の母からの刷り込みが強いだけなのかとも思うが、でもやっぱり世間にあふれるものって味が濃すぎ、そして世間のみんなも味の濃さを求めすぎだと思うのだ。そんなことを入院中、病院食を食べながら考えました。病院食って薄味なんですが、俺はこれが食べたかったんだ、スーパーとかコンビニの弁当なんて本当は嫌だったんだな、と自分を再発見することしきり。現場からは以上です。

 

アボカド飢饉

年始なのでふと思い出した。数年前、家族が入院することになったので見舞いのために実家に帰省したのだ。病院の中にタリーズコーヒーが入っていたのでアボカドの入ったホットドッグを注文したのだが、アボカドがもうなくなってしまったと言われた。仕方なく普通のホットドッグを食べた。

次の日に近くの大型書店に行くとそこにもタリーズコーヒーが入っていた。タリーズ経済圏である。昨日のリベンジと思いアボカドのホットドッグを頼んだのだが、ここでもアボカドが無いから出せないと言われた。仕方なくコーヒーだけ飲んで帰った。

こんな狭い範囲でアボカドの品切れが頻発するなんて、局所的アボカド飢饉だ、アハハ、などとこの件は僕の中で大いにウケた。それから何度か人に話しているのだがあまり受けない。

大学時代、僕の「どうして女の人はアボカド好きなんですか」の質問に「ほら、女子って割と、ぼんやりした味とか好きじゃない?」と答えてくれた女性の先輩は僕が貸したニューシネマパラダイスのDVDを返さないまま卒業していった。いい加減返せよ。現場からは以上です。

エモさ漂う映画のエンディングテーマ5選

映画はエンドロールの最後までちゃんと見るタイプです。ですです。

映画が終わってもすぐには席を立ちたくないタイプです。ですです。

ところで妙にエンディングの切なさが印象に残る映画ってありませんか。

ありませんかって言っても微妙に語弊があるというか、伝えづらいので例を出します。

無間道/「インファナル・アフェア

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「どんな理由があれ人様に紹介するときはなるべく著作権法遵守」の主義の下、動画は最近になって作られたネットドラマ版の主題歌ver.となっております。

そんなことよりインファナル・アフェアです。個人的には「たとえマチズモと呼ばれてもいい。おれは男に生まれて、そしてこの映画に出会えてよかった」大賞永世7冠受賞作品です。最終的にある男が重い宿命を背負うことになるのですが、そのあとに流れるこの曲の切なさといったら。「いつになったらこの苦しみから逃れられるのか」運命に抗おうと闘い続ける男たちの悲壮感あふれる胸中を歌い上げるのは、アンディ・ラウトニー・レオンの本作主役コンビ。まったく、最高すぎて最高なのかよ。

The Show/「マネーボール

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これはリンク先の動画のほうがオリジナルなのですが、「マネーボール」ではブラッド・ピット演じる主人公の娘がアコギの弾き語りで歌うシーンがあって、それがエンドロールでも流れる構成です。オリジナルのようなポップさは鳴りを潜め、幼い女の子が素朴に歌うだけで、映画のエンディングとしては非常にあっさりしているのですが、主人公と娘の微妙な距離感とか、ライバル球団相手にデータ分析の力で戦いを挑む主人公、というヒロイックなイメージとのギャップとか、そもそも主人公は球団の改革に奔走しながらも試合は見ずに結果だけ人づてに聞くところとか、「ベストセラーを原作にブラピ主演」という事実から連想するイメージとはやや離れたところにある、どこかつかみどころのない感覚がこの1曲に集約されている感じです。

Our Sleepless Minds/「リベンジ・トラップ/美しすぎる罠」

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すっごいマイナーな映画だから音源ないかも……と思ってたらsoundcloudにあがってたぜヤッホー!な1曲。いや、マイナーと言いつつ主役はロザムンド・パイクだし、「ゴーン・ガール」とは若干ベクトルが違うけどこれまたえげつないことするしで結構印象に残る映画ではあります。画面のつくりはいかにも低予算映画という感じだし、邦題から受ける印象とは違うタイプの映画でもあるので、いまいち勧めどころを図りかねる映画なのですが、huluなど各種サービスではちょいちょい見放題になってるので何かの機会にぜひ。歌ってる人は誰なのかよくわからないけれど、サビのシャウトの切なさが、これまた本作を見た後のオオウ……な感情に程よく寄り添ってくれる感じで好きです。

曲名不詳/「オデット」

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これこそマニアックな映画で、何度かの企画上映以外では日本の映画館で公開されたことはないはずです。僕も渋谷ユーロスペースだかイメージフォーラムだかで特集してたのと、池袋新文芸坐のオールナイトで1回やってたのをたまたまどちらも見ることができたので知ったんですけど、そしてすっかりハマってしまってアマゾンでDVDを個人輸入しちゃうぐらいに好きな映画です。監督のジョアン・ペドロ・ロドリゲスと美術のジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタがゲイのカップルなこともあってか二人が作る長編はどれも同性愛者が軸に置かれているのですが、その中で本作は女性が主人公で若干毛色が違うというか。この二人の作品全般に言えることなんですが、ものすごくポップな画面が映ったと思いきや象徴的で難解なシーンに入ったり、過激な性描写などこれでもかというほどわかりやすい描写があったかと思えばまったくわけのわからない表現があったり、作品を通しての揺さぶられ方がすごい。でもそれって普段映画を見ているときに常にどれかを感じているわけで、それを1本の映画に凝縮して見せられていると思うとなんだかものすごいことなのではないか、という神秘的な魅力のある作品なのです。そうやって、面白くはあるんだけど別の世界に突き放されてしまったかのような我々を元の世界に連れ戻してくれるのが大変にエモいこの曲で、なんならこの曲を聴きたいがためにこの映画を見るような、僕にとってはそんな思い入れのある1曲です。

僕らはシークレット/「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

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若くして自殺したミュージシャンを主役に、友人の映画監督が映画の題材として撮りためていた彼やほかの友人のドキュメンタリー映像とフィクションパートを織り交ぜて完成させた映画、そしてそのミュージシャンが生前に製作しエンディングに採用されたこの曲。静かな立ち上がりから終盤への盛り上がり、7分以上の長尺とプログレっぽくて大好きなのですが、映画を見終わった後に聴くこの曲のエモさと言ったらなくって、若くしての死はそりゃあ悲しいけれども決して普通の人間ではなかったミュージシャンの彼とか、そういう悲劇的な事実を脇にやったとしても物語をけん引して周りの友人たちを動かしていく彼の凄味とか、それに比べてフィクションパートの妙な白々しさとか、そういうものがこの曲のラストの盛り上がりで爆発するんですよ。ああ、これも行って帰ってくるための曲というか、映画の中の世界から生まれていながら観客を外へ押しやる感じの曲です。

こうしてならべてみると、こう、いかんせんエモさに頼ったレビューなので、全体的に文章が論理的ではないのだけれど、書いてて楽しい文章でした。まとめると「いやあ、映画って、ほんっとうにいいものですね」しか言うことはないのだけれど、これからもエモいエンディングに出会うために映画を見ていきましょう。

どんな美男美女でも避けられる瞬間

皆がうらやみ、異性ならば誰もがその肌に触れたいと思うような美男美女であっても、絶対にみんなに避けられてしまう瞬間がある。

改札でチャージ残高が足りなかったときだ。

あの、開くと思って開かなかった改札、元の位置に戻るには中途半端に長い距離、あれをやってしまったが最後、後ろに続く人たちは必ずそいつを避けなければならない。たとえどんな美男美女であろうと、あるいはどんなに偉い人だろうと、チャージ金額が足りないまま改札に向かったが最後、後ろの人には避けられてしまうのである。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、されど人々の間に格差や差別がなくならないこの世界において、唯一誰にでも起こりうるという意味ではまさしく平等の象徴である。

なんでこんなどうでもいいことを書いているかというと、久々に休日が楽しかったからだ。1年半ぶりに土日連休になって、朝はゆっくり起きて、アマゾンプライムで「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード」を見て、最近新調したパソコンに各種ソフトウェアをインストールして、愛知県体育館にプロレスを見に行って、欲しかった本『Rプログラミング本格入門』を買って、チキン南蛮を作って食べる。楽しさを共有知る相手がいないのだけが残念だけれど(でももし誰かがこの記事を読んだら、それも解決)、考え得る最高の休日じゃないだろうか。久々に楽しくて、自分の中でバランスがとれないので、わざわざブログを書きました。

もっと楽しいことがあるといいな。現場からは以上です。

からあげ+α

今日定食屋でからあげ定食を食べた。レモンがついてきたのはいいとして、タルタルソースがついてきたのだ。わざわざ小鉢で。付け合わせの千切りキャベツにはドレッシングがかかっていたから、このタルタルソースはキャベツ用ではなくからあげ用だろう。

しかし、からあげにタルタルソースとはあまりに過剰すぎないか。あの旨味にあふれた鶏肉に、これまた旨味しかないしょうゆ、しょうが、にんにくを漬け込み、あまつさえ油で揚げてしまうのだ。この時点で過剰とも思えるからあげに、さらにタルタルソースとはいかに。カキフライからの連想であっさり受け入れてしまいそうになるが、よく考えるとおかしいだろう。法律で規制すべきと言っても過言ではない。

しかし食べてみるとこれがうまい。わかっていたがうまい。外しようのないうまさ、揚げ物に油を重ねるという神をも恐れぬ所業、かつて飢饉に苦しんでいた先祖たちも草葉の陰で喜んでいるに違いない。

そういえば先日別の店でもからあげ定食を食べていた。そこでもマヨネーズがついていたが、それはキャベツ用だったように思う。しかしこのからあげ定食にはからし醤油がついてきたのだ。例のごとく小鉢である。からし醤油とはこれいかに。そもそもからし醤油なんてあまりなじみがない。からしはとんかつには使うがからし醤油ではないし、強いて言えば焼売にはつけるだろうか。それにしてもメジャーというほどではないだろう。

だがしかしこれもうまい。塩辛さやスパイシーさには縁が深いからあげであるが、からしのようなツンとくる辛さともなかなか相性がいいのだ。そして言うまでもなくしょうゆは正義である。白状しよう、キャベツ用かと思われたマヨネーズもからあげにつけて食べた。しょうゆ、からし、マヨネーズ。個性的な面々が集まって独自のグルーヴを生み出すさまはまるで安田大サーカスのようであった。

ちなみにどちらの店も味濃い文化の総本山・東海地方である。どちらもばっちり赤だし付きである。こうしてぼくは潰瘍性大腸炎であるにも関わらず脂っこいものをモリモリ食べ、血便を出したのであった。

そんなことよりクレジットカードの引き落としの入金を忘れていたことに気づいて血の気が引いている。踏んだり蹴ったり。現場からは以上です。

人生がつらいので吉岡里帆の話

うう、つらい。何がつらいかというと、ここ1ヶ月ぐらいでケータイとパソコンと車壊した。借金がウン十万ほど増えた形になります。つらい。ほかにも、会社で希望出してた部署に異動できるかと思ったらほかの部署から声がかかって、その上司がいい人だったから了解したものの上司が変わってこれがまた相性の悪そうなタイプで、しかも辞令が出ているのに今いる部署のほかのチームが忙しい(僕は全く関係ない)からって異動できていないという、なんだかよくわからんが愛社精神なるものが消え失せていくようだよパトラッシュ、萩・津和野へ旅に出たいよパトラッシュ、という次第でございます。あとはまあ、その、夏目漱石の『こころ』とか読んだね。ハハハ。

 

前置きが長くなったけれど、今回は吉岡里帆の話です。うちにはテレビがないので「カルテット」ほか出演作を見たわけではないのですが、ネットでどんぎつねのCMを見たり、彼女が出演するラジオを聞いたりはしていたので「なるほど、これがかの吉岡里帆か」「”よしお”なのか”りほ”なのかはっきりしないな」などと思っておったのです。

そんな彼女ですが最近プチ炎上というか、過去のグラビアの仕事について語ったインタビューがちょっと話題になりました。どちらかというとまとめブログが拡散された感じですが、元記事はこちら。

sheishere.jp

まあ、グラビアやりたくなかったって言われるとそれが好きだったファンはがっかりするのはもちろんわかるわけですが、これ、ちゃんと読むとむしろ水着姿よりもぐっとくること言ってるんですよ。

私は水着姿なんて絶対出したくなかったし、両親からも、「本当に結婚するような人にしか見せちゃだめ」という教育を受けてきたから。

はい身持ち堅い。身持ち堅いです。そして親の言うことをちゃんと聞きます。えらいです。経験上、こういう女の子はお父さんにもちゃんとバレンタインにチョコをあげます。三方よしです。素晴らしいですね。

それを、全国区の、ワンコインで買える週刊誌で披露して、1週間後には廃棄処分されて。こんなに脱いでも、翌週には別の女の子のことを見るんだろうなと思うと、自分のその「旬すぎる時間」みたいなものがすごく辛かったです。

はいここ、里帆が気にしてるのは「翌週には別の女の子のことを見てるんだろうな」ってことなんですよ。これってつまり、「ずっと自分のことを見ていてほしい」ってことじゃないんですかね。里帆がですね、自分だけ見てほしいって言ってるんですよ。しょうがねえなあ、そこまで言うなら?そこまで言うんだったら?まあなんていうかさあ、おれも女の子には恥かかせらんないっていうかさーもうしょうがねえなー

嫌なんだけど、自分の夢をつかむために、それをやってほしいと求めてくれる人がいる以上、その人たちに応えるのが私の生き方だということに抗えなかったんです。

はい、求められるとがんばっちゃうタイプです里帆。最高じゃないか里帆、かわいいな里帆。でもこういうタイプはがんばらせすぎるとエネルギー切れを起こすのでほどほどにしておくのが大事です里帆。時にはこっちがサービスしたりあえて会わずにひとりにしたり、そういう時間を経てより仕上がっていくと思います里帆。

週刊誌を見るときに本当に考えてほしいのは、写真に写っている子たちは、一世一代の賭けをしているということ。消耗品になることを前提に脱いでいることも含め、いろんなことを思いながら、そこで笑顔でいるんだよっていうのをわかってほしいなと思います。

はいここでハッとさせに来ます。ある意味女性との恋愛全般にもいえるのかもしれませんが、女性は消耗品になり得る可能性を常に持ってるんですね。例を挙げればきりがありませんが、女性は男性にとって非常にわかりやすい魅力を持ちうるが故に安易に消費されやすい。それを改めて気づかされました。現実の女性はそういうものを抱えていること、そして写真や画面のなかの女の子たちへの敬意を忘れないこと、里帆が教えてくれました。倫理的にもしっかりしています。

と、ここまで里帆里帆言ってるうちに、元記事で対談相手の吉澤嘉代子の言う

里帆ちゃんこそ、運命かもって思わせるような人なんですよね。この先もう会えないかもしれないけど、今、なにか繋がれたかもって思うような感覚を共有できて、それでいいと思えるような。ゆきずりの恋でもいい、みたいな……。男の人にも思ったことのない感情を抱かせるような人だなと思います。

的なものに自分がすっかりはまってしまっているのではないかという気がします。おおっと危ない。僕はずっとしょこたん一筋と決めていたのに。

というわけで吉岡里帆の話でした。吉岡里帆について考えている間だけは人生のつらさを忘れられますね。みなさんも吉岡里帆について考えてみてはいかがでしょうか。バイラルメディアのような締め方。現場からは以上です。