砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

頭も痛い

うっかり難病というと、なんでもそれのせいにできて便利なのですが、持病の潰瘍性大腸炎のせいで頭が痛いです。腸の病気なのに関係あるのかという気もしますが、風邪や発熱などの症状、うつ状態なども(2次的なものも含め)症状に数えられる場合があるので、難病と言うことにしておきましょう。ただ、他人に言ったときの伝わり方が人それぞれで、過剰に心配する人、気にもとめない人、みんな持病ぐらいあるからメソメソすんなと言う人、様々な人がいます。しかしながらこのブログは僕の城なので、好きに書こうと思います。

めっちゃあたまいたい!!!!!

あたまいたい!!!

あたまいたい!!!

しぬ!!!!!!!!!!!!!

踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、そんな気分です。あたまいたい!!!

こう言っては女性に失礼なのは十分承知ですが、女性の生理のつらさがなんとなくわかる気がします。臓器が思い通りにならなくて、頭も痛くて、ストレスもたまるなんて、こんなに女性は辛い思いをしているのか、それも全員か、という思いです。内視鏡検査を受けて自分の大腸の内側を見て以来、性行為の際も気をつけようと思いました。なんとなくではあるものの女性にもっと寄り添えたならと思います。あと、僕も血が出るしね(血便)。

うるせえ!あたまいたい!!!!!!!!!!

いたい!!!!!!!!!!!!

腹が痛くてやばい

潰瘍性大腸炎を患っていることはこのブログで被害者ぶってしつこく触れてきたが、ここ1年くらい特に痛みがなかったのが急に痛くなってきた。やべえ。死ぬのか。いや死なんけどな。痛みはあっという間に人をおかしくする。踏んだり蹴ったりですね。

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腹は痛くてもおやつは食べる。これは麩まんじゅう。実家の母が食べているのをもらって以来、ここ10年マイフェイバリットスイーツナンバーワンの地位から揺るがない。タピオカどころじゃない圧倒的食感、つるんと涼しげでよろしい。ついてる葉っぱはむいて食べるのだが、その後の見た目がもっと派手なら確実に天下を取っていたはず。これもこっちに来てからスーパーや町の和菓子屋で買えるようになったのでうれしい。

 

そしてコウモリは黙して語ることがなかったのであった~深夜の国道、筋少を聴きながら

いつだったか、認知行動療法の資料だったか、幼い頃に好きだったものに触れることが回復につながることがある、という旨のことが書かれていた、ような気がする。根拠はない。昔好きだったものは思い出になるけれどいつまでも好きなのだから、自ら触れたいと願うまではそれらに触れることはなんだか後ろ向きなことだと思っていた。なんでそんなに意固地になっていたのかわからないが、10代の時に好きだった筋肉少女帯を今になってはあまり聴かなくなっていた。それをなんだか急に、聴きたくなったのである。だから愛車に乗って1時間ほど国道を飛ばしてきた。おいなんだか青春っぽくねえかおい。以下はその感想である。

筋肉少女帯との出会いは中学校の時、担任の先生がかつて聴いていたと話していたのである。そのときは「ああ、大槻ケンヂって変わった名前の人いたよね」ぐらいの認識だった。高校に入って以来、中学の時は小田和正が好きだったイシムラ君がロックやパンクやテクノを聴くようになった。彼と話すうち、キングクリムゾンはいいよね、戸川純はヤバいよね、平沢進、ああそうだ筋肉少女帯も最高だよね、という流れになり、聴きはじめたのである。不条理を歌った歌詞、バカテクのサウンド、急に挿入される語りや寸劇、そしてなにより不条理の先になんとしても希望を見いだそうとするロマンチックさがどうしようもなく好きだったのである。おい、高校生のおれよ、なんであんなに筋少が好きだったのか、当時はよくわからなかったけどそのうち言葉にできるようになるからな、よかったな。

各種アルバムを聴こうと思うとどれにしようか悩む。それと、一部アルバムはかつて俺から最愛の女性を奪った某クソ野郎に貸したまま借りパクされているのである。つくづく地獄に落ちろ。こういうときにベストアルバムは助かる。アルバムはそれ単独で作品なのだとする意見はよくわかるが、ベストアルバムにもひとつの作品として聴けるように配慮されているものだってあるのだ。いや、これがどうかは知らないんだけど。 

車はオレンジ色のアクア、先日ぼくをふった女性にバカにされたアクアである。C-HR乗りに言われたくない、地獄に落ちろ。車で聴く音楽は好きだ。イヤホンやヘッドホンほど没入感はないし、オーディオオタクが持ってるようなちゃんとしたスピーカーのある部屋とは比べものにならないんだろうけど、最大100キロで走る車で聴くっていうのは他にはない魅力がある。うっかりすると事故ってそのまま死ぬというリスクが唯一にして最大のネックではあるが。ファンク、プログレありのハードロックである筋肉少女帯はすごく夜のドライブにはまる。ノリノリで不条理を歌われると、ああ確かに人生って辛いよな、高校生のころって、そんなにつらかったっけ、まあつらかったんだろうな、当時のおれも周囲の大人が楽しいのは今だけっていう呪いのような言葉に引っかかって素直につらいとは思えなかったけど、つらかったよな、いまはとりあえず生きる方に舵を切ってるけど10代にとっては生きるか死ぬかって結構切実な問題だったよな、それをジョーク込みでもちゃんと言葉にしてくれたオーケンっていいやつだな、ありがとうオーケン、とりあえず死なないですんだよ、死んでた方が良かったかも知れないけど、まあとりあえずはこっちでいいかな。以前には四人囃子の一触即発を聴きながら夜にドライブをしたこともあるが、あれもなかなかよかった。

 

時代は風俗よりもコンタクトレンズ屋だ

ちょっと思うところがあって、コンタクトレンズを買いに行った。数ヶ月前にかっこいいめがねを新調したばかりなのだが、値段を見ると安かったのでフラッと行ってみたのだ。しかし安いのは1箱分の話で、両目分を数ヶ月分買うとそれだけ倍になるわけで、気軽に行ったつもりが結構な出費になってしまったが。

そこはコンタクトレンズの販売店と、視力測定と装着法の指導のみを行う眼科が併設されている。コンタクトレンズって眼科で診断書もらわないといけないイメージだったのだが、こういう形態になってることって常識だったのかしら。全く知らなかった。そしてさらに意外だったのが、眼科で働いてる看護師さんが美人ばかりだったことである。

美人を見るとおいら困っちゃうよウフフという有様であったが、みんな薬指に指輪をはめていた。ぎゃふん。よく考えれば、患者を治療する医院や夜勤が必要な総合病院よりもコンタクトのことだけやってるならストレスが少なく、家事や育児との両立がしやすいだろう。若い新婚世帯の看護師さんにとって非常に働きやすい環境と言える。しかし、利用者にとっては美人に会えてうれしいということだけではない。本題は視力検査を終えた後、コンタクトの付け方の指導を受けるときにある。

よそではどうか知らないが、ぼくの行ったところでは看護師さんがまずコンタクトをつけようとしたのだ。むき出しの眼球という臓器(ではなくて感覚器だけど)に、美人が(レンズ越しではあるけど)触れようとしてくるのである。すごい。しかしいきなり他人が目に指を突っ込もうとしてきては目をつぶらずにはいられない。だから自分でつけるように言われるのだが、これまでコンタクトをつけたことのない人間がすぐつけられるわけではない。そうすると目を見開いたまま悪戦苦闘するわけだが、次第に涙があふれてくる。もう号泣レベルである。涙がたくさん付くと滑りやすいですよねと言って看護師さんが涙を拭いてくれる。洟が出てもティッシュをくれる。もうちょっと、がんばって(目を開いて)くださいと励ましてくれる。状況だけ見れば、号泣しているダメなおれと、それを隣で必死に励ます美女がいるのだ。

ここで思い出したのはこの増田である。

anond.hatelabo.jp

風俗でやらしいことは何もせず、ただ女性の隣で涙を流すことで癒やされるおっさん。ぼくの身に起こった今回の一件は、構造としてはほぼ同じである。ただコンタクトがつけられずにいただけなのに、そしてなぜかたまたま看護師さんが美人だったおかげで、本来ならば起こりえないはずの状況が発生してしまったのである。無事コンタクトがつけられるようになり、支払いを終えて家路につくぼくはなぜか妙にすっきりしていた。世の非モテよ、行くなら眼科の併設されたコンタクト屋だ。東京にいたころはコンタクト屋なんてしつこくポケットティッシュ配ってるだけの邪魔な存在だと思っていたのだが、こんな体験のできるものだとは思っていなかった。ありがとう美人の看護師さん、なんだかとても元気が出ました。

ちなみにコンタクトがつけられるようになった以上、定期的な視力検査はするものの今回のようなシチュエーションは2度と無いのである。そこの一回性、刹那的なところも大変趣があってよろしい。本エントリには看護師の方を性風俗従事者に例えるような表現がありますが、不快に思われた方がいらっしゃいましたら大変申し訳ございません。

永遠も半ばを過ぎて

というのは中島らもの本のタイトルだったはずだが、読んだことはない。あのクソ酔っ払い、なんか詩的でかっこいいパンチラインよく思いつくよな。

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写真は東海地方にだけ出回ってる生せんべい。仕事をサボって車の中で食べる。生八ツ橋みたいにこれを焼くのかと思ったら別に焼いたものがあるわけではない。この前デイリーでむかない安藤が取り上げていた。

https://dailyportalz.jp/kiji/sticky_sweets_in_aichi

名古屋のういろうよりはサクっとした歯切れだが、ただひたすらべとべとした何かである。原料には米とか蜂蜜とか書いてあるが、もはやそんなことはどうでもよく、ただひたすらにべとべとである。味はただ甘い。白い部分と黒い部分で味が違うのかと思ったらそんなことはない。ただただ甘い。食べている最中はもはや永遠に続くのではないかという気さえする。誰にも永遠を誓わせてもらえない独身はこれを持って代えるのはいかがでしたでしょうか

 

 

ネタ帳のコピペ

スマホを持つようになったのは去年の後半である。それまではずっとガラケーだけで、今では2台持ちである。バブリー。スマホの何がいいって、写真やメモがデータで取れるところだ。というわけでここ一週間のメモを大公開しよう。ブログに書こうと思ってつけたネタ帳だが、意味はよくわからない

 

 

パチンコキャッスルのコピー遊びに自由を、喜びに革命を

若い女性の貧困

同盟、Union、アライアンス、ユナイテッド

丸襟と妊婦

財布がポケットに入ってない気がする

県病院の内科の先生が大森先生に似てる

音響カプラとトンビでインターネット

音響カプラとヤカンでインターネット

ありのまま

プライオリティ

股間デカルト

映画の映画

米軍装備のかっこよさ

玉越のコピー5日は玉越がいつかは玉越に聞こえる

文体練習

ブログの更新頻度を増やそうと思って色々書いてみたものの、いまいち愉快な文章が書けない。インプット不足とか要因が考えられるが、こういうときは量で質を補う主義である。ということで1日なんぼんでも記事を書いてみよう。スマホはてなブログのアプリも入れたことだし、これで仕事をサボってブログを書きまくろうと思う。

 

思えばブログを初めて知ったのはライブドアのCMだったろうか。ホリエモンなるあやしげな男がいて、なんかやってるって印象だった。そのうちウェブログから転じて日記を指すものと知ったが、テキストサイト世代としては日記なんてHTMLでいいじゃんと思ったものだが、眞鍋かおり中川翔子の影響で瞬く間に広がっていった。しょこたん、おれは今でも愛しているよ、ずっと君が一番だよ。そんなブームも落ち着き、しょこたんツイッターな今、すっかりブログは数あるウェブサービスの一つという感じ。今さらではあるけど、まあそんな感じがいいよな。

 

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昼休みに車の中で食べてる鬼まんじゅう。東海にきて唯一よかったのはこれかな。