砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

三島由紀夫と海に行った日

高校生の頃、まわりに遅れること2年、電子辞書を買った。一通り卑猥な言葉を検索した後、有名な芸術家の名前を入れては検索していた。覚えてるのが松尾芭蕉パガニーニ、そして三島由紀夫である。『金閣寺』とか『仮面の告白』とか気になってたんだと思う。三島由紀夫の項目を読んで初めて彼が割腹自殺をしていたことを知った。そして彼のことを調べるにつれ、ひ弱な文学青年が一躍有名になり、体を鍛え始め、右翼思想にかぶれ、果ては自らの理想のために切腹までしたという波瀾万丈さにめまいがした。

そんなこんなでぼくは受験生になり、センター試験を終えた。全受験生からみれば上の方、志望校には足切りされないけど決して油断はできない、という結果だった。うん、満点ねらってた倫理では2つも間違えたし、得意だった生物も予想以上に失点したけど、なんとかなったぞ。ここでぼくは大きな隙ができてしまった。ふと、このままこれでいいんだろうかという、高校生として実にありふれた疑問にぶつかったのである。このままいけば志望校に進学できそうだし、模試ではA判定だ。進学校だったから同級生の中では決して1番ではないけれど、まあ悪くはない。むしろ世間的には十分立派な学歴がもらえるんだから。いいじゃないか、こんなものだろう。そう思っていた緊張の糸が切れた。糸っていうか、砂糖が熱いコーヒーに溶けるようになくなっていった。高校の授業が少なくなり、クラスメイトと会うことも少なくなり、自由な時間が増えた。勉強しなくちゃいけなかったんだろうけど、集中力がなくなっていった。

そんな折、学習室を利用していた市立図書館でこの本を見つけた。

不道徳教育講座 (角川文庫)

不道徳教育講座 (角川文庫)

 

 以前から勉強しているふりをしてたくさん本を読んでいた。たくさんというか、大槻ケンヂ中島らもを読んでいた。他にも読んでたけど、まあいいじゃない。勉強してくると母に言って家を出て、学習室の席を取る。いつでも戻って来れるようにカバンを置いたままにして貸し出しカウンターに向かう。古い版で書庫に入っていたのを出してもらって、貸し出しカードを渡す。本を受け取ったら一目散に外に出て駅に向かう。わが愛すべきクソ田舎には海まで一本で行ける電車が走っていた。なるほど、海に行くのも青春っぽくていいじゃないか。好きな女の子がいたのに、すごく近くにいたのに、結局それ以上近づくことができなかったことを思い出す。高校生ももうすぐ終わりだというのに、やっとひとりで青春なのか。海へ行こう。何かがあるかもしれないし、無いかもしれない。行きたいんだよ、海。

 

文学青年時代に教養を蓄え、それらをフル活用して「教師は強請るべし」なんて過激なこと書いちゃう三島の文章は、過激な右翼おじさんにはとても思えなかった。むしろ愛すべきおもしろおじさんじゃないか。オーケンやらもさんの文章も寄り添ってはくれたけど、決められたレール、というかそんな生やさしいものではない、もっとおぞましい何かに向かおうとしているぼくにとって、飄々とホラを吹いて常識をひょいっと飛び越える三島由紀夫は、なんだかとってもいいやつな気がしたんだ。

海へ着いた。海は広い。たぶんちゃんと海に来たのは幼稚園の頃の海水浴以来だ。常に押し寄せてくる波には現実感がなくて、きっと海の果てには波立ておじさんっていうでっかいダイダラボッチみたいなのがいて、水面を手で叩いてるんだと思った。きっと、自然現象にはそれぞれ高木ブーのカミナリ様みたいなおじさんがついていて、みんな思い思いに働いているんだろうと思った。三島由紀夫の教養を浴びた割には幼稚な発想で、難関大学を目指す受験生としても幼稚ではあったけど、おれは今日海を見てそう思った。この事実は揺るがない。やったね。その日は満足して帰ったのを覚えている。

こうしてぼくは現役時代に受けた大学には受からず、1年間の浪人生活を送ることになる。結果として当時の志望校よりも偏差値の高い大学に入れたからこそ言えることかもしれないが、あの日海に行ったことに全く後悔がない。それほどまでにあの体験は今に至るぼくの何かを構成している気がするのだ。厳密に言うと池澤夏樹の『スティル・ライフ』とかを携えて海に行ったエピソードもあるのだけれど、それはまた別の機会に。

ちなみにその日以来三島由紀夫の本は1行も読んでいない。

You Know My Name

You Know My Nameという名曲があります。

www.youtube.com

これは「007  カジノ・ロワイヤル(2006)」の主題歌です。「ゴールデンアイ」で”ロジャームーアを正統進化させた、ブロスナンの軽薄エンタメ路線”ボンドを創り出したマーティン・キャンベルが、”シリアスな顔して原作に忠実みたいな感じだけど実はバカなことやってるチンピラ”ボンド、というかただのダニエル・クレイグ、という新たなボンド映画像を打ち立てたよく考えると変な映画です。冒頭、オラついたボンドがトイレで敵をそれはもう雑な殺し方をするのですが、後ほどそれが007のコードネームを与えられるきっかけの殺しになります。そしてボンド映画で有名な銃口越しに発砲するボンドのシーンに移るのですが、これがもうシリーズ屈指の雑な入り方なんですけど、めっぽうかっこいい。そして間髪入れずド演歌ロックなYou Know My Nameのイントロ、ベッタベタで最高です。そしてこの歌、歌詞を超意訳すると「俺は強いぜ?ぶっころすぞ?俺の名前を言ってみろ」って言ってるだけなんですよ。チンピラボンド、というかクレイグのイメージにぴったりすぎて最高ですよね。まあ普通にかっこいい曲なんですけど、アニソン、というかメインとうまくかみ合ってるタイアップ曲が好きな僕としては大好きなんですよね。

で、なぜかこの曲にも同じ感動を感じるのです。


愛にできることはまだあるかい RADWIMPS MV

ぶっちゃけまだ「天気の子」見てないんですけど、だからこれがタイアップとしてうまいのかどうかよくわかってないんですけど、なんかこれすごく好きなんですよ。いや、ふつうにいい曲だと思うんですけど、なんでだろうと思って。で、結論としては

愛にできることはまだあるかい

僕にできることはまだあるかい

というところが「おいお前やれんのか」って言われてる気がするからです。「安田、バカになれ!」でも「どうだ真輔、うっとうしいだろ」でもいいんですけど、すっごく挑発的だなって思って。歌詞全体としては決してそんなトーンではないんですけど、こういううっとうしいブログ書いてる勢としては、きれい事を全力で肯定して死んでも貫こうとする勢としては、こういうこと言われると黙ってられないんですよ。おう、やってやろうじゃねえか。ちくしょう、何が愛だよ、死ね!死んでも愛してやるよ!という気持ちです。

そういうことをまだ穏やかに思っていた頃の記事がこちらです。

k-point.hatenablog.com

 

 

ブログ毎日更新しようと思ったけど忘れてたのでごまかすの巻

うぇーい

ぼべんべぼろろーん

うっぺっそーい

ぺぴんぱこいふえた

なにこぐふよいわじそふね

 

ぬえ

 

やはり内容がないのは大変につまらないので大好きな1曲


ZIGGY "うたた寝の途中 ~from New Album「2017」~" (Official Music Video)

ZIGGYこと森重樹一は東京都国立市が生んだ2大ジュイチのひとり(もうひとりは京都大学総長の山極壽一)。最高

頭も痛い

うっかり難病というと、なんでもそれのせいにできて便利なのですが、持病の潰瘍性大腸炎のせいで頭が痛いです。腸の病気なのに関係あるのかという気もしますが、風邪や発熱などの症状、うつ状態なども(2次的なものも含め)症状に数えられる場合があるので、難病と言うことにしておきましょう。ただ、他人に言ったときの伝わり方が人それぞれで、過剰に心配する人、気にもとめない人、みんな持病ぐらいあるからメソメソすんなと言う人、様々な人がいます。しかしながらこのブログは僕の城なので、好きに書こうと思います。

めっちゃあたまいたい!!!!!

あたまいたい!!!

あたまいたい!!!

しぬ!!!!!!!!!!!!!

踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、そんな気分です。あたまいたい!!!

こう言っては女性に失礼なのは十分承知ですが、女性の生理のつらさがなんとなくわかる気がします。臓器が思い通りにならなくて、頭も痛くて、ストレスもたまるなんて、こんなに女性は辛い思いをしているのか、それも全員か、という思いです。内視鏡検査を受けて自分の大腸の内側を見て以来、性行為の際も気をつけようと思いました。なんとなくではあるものの女性にもっと寄り添えたならと思います。あと、僕も血が出るしね(血便)。

うるせえ!あたまいたい!!!!!!!!!!

いたい!!!!!!!!!!!!

腹が痛くてやばい

潰瘍性大腸炎を患っていることはこのブログで被害者ぶってしつこく触れてきたが、ここ1年くらい特に痛みがなかったのが急に痛くなってきた。やべえ。死ぬのか。いや死なんけどな。痛みはあっという間に人をおかしくする。踏んだり蹴ったりですね。

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腹は痛くてもおやつは食べる。これは麩まんじゅう。実家の母が食べているのをもらって以来、ここ10年マイフェイバリットスイーツナンバーワンの地位から揺るがない。タピオカどころじゃない圧倒的食感、つるんと涼しげでよろしい。ついてる葉っぱはむいて食べるのだが、その後の見た目がもっと派手なら確実に天下を取っていたはず。これもこっちに来てからスーパーや町の和菓子屋で買えるようになったのでうれしい。

 

そしてコウモリは黙して語ることがなかったのであった~深夜の国道、筋少を聴きながら

いつだったか、認知行動療法の資料だったか、幼い頃に好きだったものに触れることが回復につながることがある、という旨のことが書かれていた、ような気がする。根拠はない。昔好きだったものは思い出になるけれどいつまでも好きなのだから、自ら触れたいと願うまではそれらに触れることはなんだか後ろ向きなことだと思っていた。なんでそんなに意固地になっていたのかわからないが、10代の時に好きだった筋肉少女帯を今になってはあまり聴かなくなっていた。それをなんだか急に、聴きたくなったのである。だから愛車に乗って1時間ほど国道を飛ばしてきた。おいなんだか青春っぽくねえかおい。以下はその感想である。

筋肉少女帯との出会いは中学校の時、担任の先生がかつて聴いていたと話していたのである。そのときは「ああ、大槻ケンヂって変わった名前の人いたよね」ぐらいの認識だった。高校に入って以来、中学の時は小田和正が好きだったイシムラ君がロックやパンクやテクノを聴くようになった。彼と話すうち、キングクリムゾンはいいよね、戸川純はヤバいよね、平沢進、ああそうだ筋肉少女帯も最高だよね、という流れになり、聴きはじめたのである。不条理を歌った歌詞、バカテクのサウンド、急に挿入される語りや寸劇、そしてなにより不条理の先になんとしても希望を見いだそうとするロマンチックさがどうしようもなく好きだったのである。おい、高校生のおれよ、なんであんなに筋少が好きだったのか、当時はよくわからなかったけどそのうち言葉にできるようになるからな、よかったな。

各種アルバムを聴こうと思うとどれにしようか悩む。それと、一部アルバムはかつて俺から最愛の女性を奪った某クソ野郎に貸したまま借りパクされているのである。つくづく地獄に落ちろ。こういうときにベストアルバムは助かる。アルバムはそれ単独で作品なのだとする意見はよくわかるが、ベストアルバムにもひとつの作品として聴けるように配慮されているものだってあるのだ。いや、これがどうかは知らないんだけど。 

車はオレンジ色のアクア、先日ぼくをふった女性にバカにされたアクアである。C-HR乗りに言われたくない、地獄に落ちろ。車で聴く音楽は好きだ。イヤホンやヘッドホンほど没入感はないし、オーディオオタクが持ってるようなちゃんとしたスピーカーのある部屋とは比べものにならないんだろうけど、最大100キロで走る車で聴くっていうのは他にはない魅力がある。うっかりすると事故ってそのまま死ぬというリスクが唯一にして最大のネックではあるが。ファンク、プログレありのハードロックである筋肉少女帯はすごく夜のドライブにはまる。ノリノリで不条理を歌われると、ああ確かに人生って辛いよな、高校生のころって、そんなにつらかったっけ、まあつらかったんだろうな、当時のおれも周囲の大人が楽しいのは今だけっていう呪いのような言葉に引っかかって素直につらいとは思えなかったけど、つらかったよな、いまはとりあえず生きる方に舵を切ってるけど10代にとっては生きるか死ぬかって結構切実な問題だったよな、それをジョーク込みでもちゃんと言葉にしてくれたオーケンっていいやつだな、ありがとうオーケン、とりあえず死なないですんだよ、死んでた方が良かったかも知れないけど、まあとりあえずはこっちでいいかな。以前には四人囃子の一触即発を聴きながら夜にドライブをしたこともあるが、あれもなかなかよかった。