砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

男好きのする映画「グッド・ウィル・ハンティング」

福山雅治が泣く映画である。

 

お前は宝くじの1等を持っている。俺たちとは違う。いつものようにお前を迎えに行って、でもお前はいない。それが俺たちの夢なんだ。そう語った後、本当にウィルがいなくなったのを見届けて肩をすくめて笑うチャッキー。それが泣けるのだと。

 

今回見るのは2回目になるが、どの人物の気持ちもよくわかるようになった。印象的だったのはスカイラーに声をかけるチャッキーを論破しようとした学生だ。私も一応高学歴なので、彼のように知識をひけらかしたい気持ちはよくわかる。彼はチャッキーを助けに来たウィルにあっさり丸め込まれてしまうわけだが、実際の高学歴なんて所詮あんなものだ。他者からの引用をあたかも自分の意見として語ることしかできない、ウィルのような天才にはどうやっても追いつけないみじめな存在なのだ。しかしそれでも世間では通用してしまう。彼は言う、「でも学位はもらえる」と。それは明らかに強がりなのだが、でもそう思わないとやっていけないことくらい彼もなんとなくわかっているのだ。

 

結局その彼にしてもウィルにしてもチャッキーにしても、数学者のジェリーもセラピストのショーンもみな何かをあきらめているのだ。その中で劇中ではウィルとショーンのみが新しい一歩を踏み出す。残りの彼らは自分の限界を知りつつも日常に戻る。そんな諦念と哀愁の漂う映画が「グッド・ウィル・ハンティング」である。男だとか女だとか言ってしまうのは好きではないが、それでもやはりこれは男が泣き、男が好む映画である。