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砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

下ネタの使い方

下ネタは元々嫌いだった。人の脳の不快感の中枢をさらっとなでるようで、人の感情に土足で忍び込む感じがして嫌だったのだ。でも林雄司が「下ネタは人を傷つけない笑い」と書いてるのを見て、まあそうかなという気はしたし、実際にみんな下ネタで笑っているのを見て使うことを決心した。

 

でも私は下ネタに向いてなかったのか、下ネタというかセクハラっぽくなってしまうのだ。「俺のトロンボーン」とか「義兄弟」とか、『官能小説用語表現辞典』っぽいというべきか、なんだかねっとりした表現になってしまうのだ。私の中ではむしろかわいげのある下ネタのつもりだったのだが、遠回しな分聞き手の理解も遅れるらしく、いまいちな反応しか得られなかった。やっぱり下ネタは良くないかなと思い直した。

 

しかし他人の、しかもリア充と呼ばれるタイプの人の使う下ネタってえげつなくてかなり笑えないのだ。なんか脱ぐし。私のように遠回しなものではなく、なんかもう明らかなセクハラなのだ。無断でLINEのやりとりのスクショをアップしてまで下ネタで盛り上がり、その盛り上がりが他人と共有されていること前提で話を進めていく。えっ、それってなんかおもしろいの?と思うのだが、なぜだかそれで話が続いてしまうのだ。やっぱりああいう人たちと私の住む世界は違うのかなあという気になる。

 

下ネタっていったいなんなんだろう。単純に下半身の話すればいいってもんじゃないけど、うんこの話をしてももうみんな喜ぶような年齢ではないし(でもみんな「う」じゃない方の話は大好きなのだ。それも意味が分からない)。結局話す人間の問題で、リア充っぽい人が話すのならそれがイケてる話で、私が話すとどうでもいい話なんだろうか。非常にどうでもいいことではあるのだが、結局下ネタをどういう風に考え、使えばいいのだろうかと日々悩んでしまうのだ。