砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

絵本「いつもいっしょに」をめぐるそれこれ

先日書いたブログに「エモい」「エモい」とたくさんのコメントを頂戴しまして、とてもうれしい反面、こんなうすのろのボンクラがこんなこと書いちゃって大変申し訳ございませんという気持ちにもなりました。

k-point.hatenablog.com

一方で、どうしてこんなにエモい文章を書いたのか、自分にこの要素がいつからあったのかなあと思い起こすうちに、1冊の絵本が思いかびました。それが「いつもいっしょに」という絵本です。

いつもいっしょに

いつもいっしょに

 

 なんだか前から本屋で見かけていたような気がするのですが、2008年の出版だったんですね~。初めて読んだころは、それはもう気分が沈んでいた時期で、今まで自分が好きだったものとか夢中で追いかけていたものに対して一切感情が動かなくなっていました。そんな折に東京都内の某書店でこの本を立ち読みしました。元々自分の視野を広げたくて時々「自分が想定読者として考えられていないであろう本」、例えば女性向けのファッション雑誌とか立ち読みしてみることはあったのですが、この日はたまたま、そういえば児童書ってほとんど読まないな、と思って手に取ってみたんです。そしたらもう号泣。ひとりぼっちのくまの所に無口のうさぎがやってきて、ふたりは一緒に楽しく過ごしていたけれど、何を聞いても黙ったままのうさぎに対してくまはついに……というあらすじで、帯のキャッチコピーとか読んでいるときに感じる大人向けのあざとさなんかが正直鼻につく瞬間はあるのですが、当時の私の心には妙に刺さりました。孤独なくまは家の前で凍えていたうさぎに最初に食事を作ってあげるのですが、その食事を作るシーンのくまがそれはそれは楽しそうで、自分にもこういう時間があったなあとかもっとこういう時間を過ごしたかったなあとかいろいろな思いがわいてくるのです。

多少料理をかじってる男子諸氏にはわかってもらえる気がするんですが、大好きな相手(男女問わず)に料理をふるまって喜んでもらえたときのあの喜びってなんだかものすごくないですか。自分の趣味を褒めてもらえたことのうれしさもさることながら、相手とすごく親しくなれたような感じがするというか。自分の心の中を探っていくと、自分の作った料理が相手のエネルギーになったり相手の体を作っていたりすることからくる支配した感があるというか、そういうアレな感覚も正直あったりするのですが、とにかく自分の作った料理を人と一緒に食べて、しかもそれが楽しいってものすごい幸せだと思うのです。うさぎが家に来る前後のくまの表情を比べてみると明らかに後者の方が明るいので、くまもきっとそうだったんだろうなという感じがします。

この本を読んで以来、エモーショナルなことを言葉に出すようになった気がします。といってもブログでは小出しにするくらいだったし、ツイッターフェイスブックでもそんなに書いてはいなくて、もっぱら頭の中で考えてるだけだったんですが。それでも頭の中ではかなりはっきりと言葉になっていたので、それだけに今の自分にとっては当然のことだったのがブログに書いたらあんなに反響があって、そこには驚きました。いかんせん心が閉じている時に読んだもので客観的な評価ができないのですが、そんなこんなで私はこの作品が大好きなのです。

同時期にはこれも読んでたなあと思い出したのでリンク。

こころのふしぎ なぜ?どうして? (楽しく学べるシリーズ)

こころのふしぎ なぜ?どうして? (楽しく学べるシリーズ)

 

 これは時期が違うんだけど、急に思い出したので。

 いつか日を改めてブログで取り上げたいなあ。