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砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

死ぬ気でがんばっても何もない、という話

こんな夜中に電通の労災の件についての記事を読んだものだから、なんかいろいろ考えこんでしまって眠れない。来月には近くにメンタルクリニックができるから行ってみようかしら、私はそういう感じですがいかがお過ごしでしょうか。おれは記録がないから過労死しても労働時間が記録されないんだなあなどと暗い気持ちになっております。

さて、それとは関係なく前々から考えていたことなんですが、「死ぬ気でがんばる」っていう言葉があるじゃないですか。今の会社に入社した当初同期が自分で言っているのを聞いたことがあるし、別の同期も先輩に怒られついでに「死ぬ気でやれ!」と怒鳴られたことがあるそうで、とにかくネガポジ関わらず一般的で、字面の過激さの割には結構安易に使われがちな言葉かと思われます。一方ではてな界隈なんかでは上記のような事件の記事に「死ぬ気でがんばると結構死ぬ」というフレーズがもはや定型句としてブコメに現れたりします。

で、私という人間は、結構死ぬ気でやればなんとかなっちゃうんじゃないかと思ってる人間なんですね。中学時代に科学部のみんなでドームから自作したプラネタリウムとか、高校生の時になんとなく立候補しちゃった生徒会長とか、提出10日前にパソコンクラッシュしたけどなんとかなった大学の卒論とか、今の仕事は1日にやるべき作業量が決まっているため残業はあっても1日で終わらないということがないので例外としても、今まで意外と何とかなっちゃってるからまして「死ぬ気」を担保にすればなんでもできてしまうのでは、という全能感にも近いものがあるのです。いや、正確にはあったのですよ。

その考え方を変えたのがこれ。

www.targma.jp

この展覧会は全国でやってたらしいので、この記事のものとは若干違うかもしれないし(私が見たのは渋谷での展示)記事は課金してないので全文読めないからわからないけど、要するに死刑囚たちが描いた絵を集めた展覧会です。主催が死刑に反対する団体なので「死刑囚だってこんな素晴らしい絵を描くんですよ!人の心があるんですよ!」みたいな意図が感じられたんだけど、まあそれはおいといて。で、何が言いたいかというと、この展示会の作品を書いた人たちって死刑囚なんだからもうすぐ死ぬことが決まってる人たちなわけですよ。そりゃ本当にいつになるかは知らされていないんだろうけど、近く死ぬことが決まっているなら、それはもう死に物狂いで生きてる人たちなんじゃないかとぼくは思ったのです。きっと描いた絵も、それこそ「死ぬ気で」描かれたものなんだから、きっとすごい作品がたくさん見られるに違いないと思っていたわけです。

でも、そんなものはなかった。確かに上手な作品はあった。リンク先の記事の画像の作品も見たし、上手いとは思った。でも、ぼく程度が「上手い」って表現するぐらいなので、程度としては美術部の高校生が頑張って描いた、県の学生展覧会には展示されるだろうな、ぐらいの作品でしかなかった。有名な画家の作品にはそうとは知らされなくても鬼気迫る何かを感じることができるのに、死刑囚たちの描いた絵には、彼らが死刑囚と知らされなかったら特に気にも留めなかったような作品しかなかったのだ。そういうのはまだいいほうで、まともな絵画ですらない、吹き出しの中で人物が死刑反対のセリフ(縦書きなのに左から右へ書かれていた気がする)を述べるだけの漫画のような作品もあった。何をもって芸術をするかは権威主義が云々だけれど、あれを芸術作品だとはとてもいうことができない、幼稚な代物であったと思う。

そのときぼくは、ああ、死ぬ気でやっても何もできないんだなと悟った。ぼくはそれこそ今からでも死ぬ気になればピカソなんて目じゃない絵が描けるもんね、ぐらいのことを、本心ではなくても心のどこかで思っていた気がするのだ。でも、そこまで到達するには芸術作品とは何かを自分なりに考えたうえで世間一般の考えと照らし合わせて、そこに合わせていくのかそれともあえて違う方向に行くのかを決めて、そこからさらに試行錯誤を重ねて技術を積み重ねないと、あるいはよほどの天才でないと到達できない、もしくはそこまでやっても無理なものなのだということを、あの展覧会で思い知った気がする。自分の心のわずかなスペースで伸ばしていた鼻は完璧にへし折られて、でもそこをよりどころにしていた部分もわずかにあったので、ぼんやりとした無力感を覚えながら家に帰ったことが印象に残っている。

ただ、それと同時にわいてきたのは、死ぬ気でやっても何もできないのだから、やりたいことはとにかく前倒しでやろうという決意だった。老後は絵を描くことを趣味にしたい、そして技術的に高度なことがやりたい、ならば今すぐに絵具と紙を買ってきて始めよう。就職するのは仕方なくであって、本当は小説家として食べていきたい、ならばとにかく紙でもパソコンでもいいから1文字でも書こう。死ぬ気でやればなんとかなる、というのは幻想であって、仮に死ぬ気でがんばったとしても納得のいくクオリティには到達できないしそのことにがっかりしながら本当に死んでしまうかもしれない。だからこそ人生にやりたくないことをやってる暇なんてない。「死ぬ気」なんて軽い言葉を当てにするな。今すぐやれ。そういうことが自分の中に深く刻み込まれた。

翻って今の自分を見るに、本当にやりたいことができているかといえば答えはNoだ。所詮そういうものでもある。今は準備期間だからとかいろいろと言い訳はあるけれど結局やっていない。でも「死ぬ気」を当てにすることはなくなった。やりたいことはすぐに実現するにはどういう手順で何をしていけばいいかを具体的な目標として考えるようにはなった。やりたくないことと並行してやりたいことをどうやって実現させていこうか、時間の限られた中で何をしていくべきか、それを考える癖はついた。それを実行するのは様々な不確定要素によりこれまた滞っていたりするけれども、「死ぬ気」使用ルートを夢想することはなくなった。死ぬ気でやればなんとかなる、というのは優しい嘘であって、そんなものは幻想にすぎないということが自分の中にがっちり埋め込まれたのは間違いない。そう生きていくのが自分の人生だと強く思っている。

 で、最初の話に関連付けるなら、死ぬ気でがんばることはそもそもナンセンスなのだから、伝説のこれとか

hase0831.hatenablog.jp

を思い出しながら書いていたわけです。普段は早くて30分1000字のペースなのが倍ぐらいの速さで書いちゃったので疲れました。寝ますね、おやすみなさい。