砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

傘の会

傘の会、というものを作りたくなったことがある。

当時、僕は入院から職場復帰したばかりで、仕事のストレスに敏感になっていた。同時に、人が抱えるストレスにも関心があった。あの人が最近疲れている、あの人は職場に友達がいなくてさみしそうだ・・・・・・そんな話を聞くにつけ、他人事ながらに真剣に怒っていた。職場でどう振る舞っていようと、そんなの人の勝手だろう。でも、そのつらさを思うと悲しくなる。自分が体を壊したときのように、あの人もどこかで歯止めがきかなくなるんじゃないのか。僕は戻ってこれたけど、手遅れになってしまう人もいるんじゃないか。

そんな人を守るのが傘の会である。単純に皆で集まって、仕事とかそんなに頑張らなくていいよね、そういう話をして終わり。ご飯に行ったり、お酒を飲みに行ってもいいだろう。でも早めに切り上げて2次会もなし。そういうものが作りたかった。社内には意識の高い人たちもいて、自分の価値を高めようと必死だった。ある種の人々を引きつける部分はあって、輪に加わる人たちもちらほらいた。でも、そもそも人に価値、というか優劣は存在しない。彼らはなんとか優劣の優になりたくて必死だった。そしてそれは僕にとって全く魅力的ではなかった。虚無だ。そんなことよりも互いが互いに傘を差し出すような、気負わずに参加できる互助会、そんなものがほしかった。

しかし僕の考えは上に書いた物から一歩も進むことはなかった。それは具体性のない妄想に過ぎなかった。ほどなく入院前の勤務態度に戻った僕は傘の会について真剣に考えるのをやめた。でも、時々思い出すことがある。苦しむ誰かに傘を差してあげたいと、そして誰かの傘に少しでいいから入れてもらえないだろうかと。それはきっと切実な願いで、意志で、私である。

豪雨の折、すべての人に恵みが来ますように