砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

難病になってよかったこと

「難病もの」映画の感情移入がはかどってめちゃめちゃ泣けるのだ。

 

k-point.hatenablog.com

 

僕は潰瘍性大腸炎を患っている、原因はわからないけれどなぜか腸に炎症ができて下痢や血便が増える。症状がつらいときはそれはもうつらいが、直接死に結びつくことはないし、実はこれ難病(厚労省が指定する特定疾患、単純に治療法のない重い病気というわけではない)の中では一番患者が多いので、完治はしなくてもやりすごすノウハウの蓄積がかなりあるのだ。だからうっかり消化に悪い物を食べ過ぎたりしない限り何も症状は出ないし、他の人とそこまで変わった生活になるわけでもない。

それはそうなのだが、「難病」と呼ばれるものを背負うのはそれなりに覚悟を強いられる事態ではある。今まで思い描いていた将来がちょっと茨の道になったような感覚があった。一番ひどかったときはお腹が痛すぎて鬱になりかけたし、やむを得ず人のいるところで漏らしてしまったこともある。それなりに症状が安定した後も、ステロイド剤の副作用で体中に赤いニキビができたり、体重が乱高下したり、ホルモン量の変化でまたしても鬱になりかけたり、毛の抜ける薬を飲むはめになったり(抜けなかったけど)、こうしてみるとなかなかにハードな人生である。

さて、難病ものと呼ばれるジャンルがある。いざ自分がなってみると、これほど泣けるジャンルはない。近年では「君の膵臓を食べたい」(実写、アニメ共に主役の演技と音楽が最高ってちょっとすごいメディアミックスですよね)とか、「8年越しの花嫁」とか、変化球だけど「世界一キライなあなたに」とか、ちょっと前だけど「私の中のあなた」(アレック・ボールドウィンが脇役ながら良いのです)とか。並べてみると、難病ものとは難病に苦しむ当事者とその周囲の物語で、特に後者が主人公であることが多い。前者は僕も同じ当事者であるという立場からものすごく感情移入できるのだが、後者にもまた、すっごく感情移入してしまうのである。

僕は潰瘍性大腸炎の診断を受けた当初、正直あまり自分事としてとらえることができなかった。だってなんか急に腹が痛いんだもん、そして原因がわからないんだもん。診断を受けたときも、自分の状態にやっと名前が付いた安堵感はあったものの、それ以外は「へーすごいですね」という風であった。象徴的なエピソードとして、当時僕が周囲に開催を持ちかけた「難病ナイト」というイベントがある。僕の難病罹患を祝して盛大に飲み会をし、最後に僕が架空のアイドル”ゲリピー”に扮して「碧いうさぎ」を歌って締めるというイベントを提案したのだが、話した人にドン引きされて終わっただけである。病気になったことをせめて笑い話にしようという意図があったわけだが、それにしたってまじめにとらえていなかったのであろう。もしくは、どうとらえていいかわからなかったのだと思う。

映画の登場人物、病気の当事者を取り巻く人々も、ある者は重くとらえて狼狽し、ある者は辛抱強く向き合い、また無関心な者さえいたりする。それはもちろん、当事者との関係性や当人の価値観によって変わってくるだろう。しかしそれは当事者にとっても同じなのである。自分自身でだって、自分自身のことはよくわからないのだ。まず病気をどう治療するかの選択、そしてどう向き合うかの選択をする必要がある。あっけらかんとしているか、悲劇のヒロインぶるか、あまり気負わず周囲に依存して生きるか(っていうのが熊谷晋一郎の当事者研究ではよく言及されるけれども)、その時々で何通りもの選択肢がある。当事者であっても望んで発症したわけではないのだから、ある意味巻き込まれた第三者的な一面があるのだ。

さすがに難病ものは当事者がいるだけにどれも慎重に作られている。どれも事実や綿密な取材を元に作られているのだろう。もしかしたら自分の現状を特別なものと思いたくて、創作の中に自分を重ねているのかもしれないけれど、とにかく僕は難病ものが好きである。登場人物の言動が、一挙手一投足が涙を誘う。ああ、がんばって生きてるな、おれもがんばってるんだよな、なにせおれ、がんばってるからな。そこでようやく病気の自分を許せる気がするのだ。難病というのは理由無く発症するもので、患者自身には何も落ち度がないのだけれど、それでも自分の中には失敗感、挫折感、悔しさがある。それがようやく救われる場所が僕にとっては難病もの映画なのである。

さて、なんでこんなに感傷的になったかというと、「8年越しの花嫁」を見ていたのだが土屋太鳳演じるヒロインは調理師なのだ。そんでもって直近の僕の失恋相手が調理師なのだ。ちなみにその前は栄養士である。腸疾患を抱える者としては食に強いパートナーが是非ほしいところなのだが、何かとうまくいかないものである。こうなったら食は自分で極めることにして、パートナーについてはなんとしても美人で巨乳でどスケベな嫁を手に入れる所存である。

 

8年越しの花嫁 奇跡の実話