砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

007でさえ2度しか死んでいないのだから

ましてや我々一般ピーポーがそれ以上は死ねなかろうと思うのです。

kutabirehateko.hateblo.jp

なんだか失恋したときものすごく悲しくなるのってどうしてなんだろう、大半が片思いだし、そこまでたくさん思い出があるわけでもないのに、なんてよく考えていたのですが、上の記事を読んでようやく腑に落ちました。恋があって、愛があって、「人生すごろく」がある。その3つのうち、複数が同時に絶たれてしまう場合がある。そのときの悲しみって、そりゃあつらいよね、という話だ。平野啓一郎のいう「分人」みたいな話でもある。個人はいろいろな場面ごとに「分人」という人格をもっていて、別れがつらいのは相手はもちろん相手のことが好きな自分という分人が失われるからつらいのだ、みたいな。恋する自分、愛する自分、人生のイベントをこなす自分、全員死んだらそれで3回。live and let die、それは007でも違う作品だけれども、それが3回。

仕事中でもひとりになると泣いてしまう僕はおかしいんじゃないか、高校生でもあるまいし、と思っていたんだが、むしろ逆だと思う。何が何だかわからなかった中高生のころ、恋愛も人生も切実な問題ではなかった。あのときは女性に高望みをすることも具体的な将来を期待することもなかった。翻って今の自分を思うと、結婚とか育児とか夫婦生活とか、すごく夢を見ているんだろうな、と思う。

だって、したいじゃん、結婚。おれがいい大学を出たのは人を愛するためだ。おれの愛は相手に語ることによって達成される。いかに相手がすばらしく、いかにみんなに幸せにしたか、いかにおれにとって大切な存在であったか、のどが焼け付くまで語り続けることがおれにはできる。そのための語彙力を学ぶために学問を修めた。それ以上の価値は全くない。いかに相手にオーダーメイドの言葉を残せるか。もしも相手が事故に遭い、病気になり、最後の時を迎えようというとき、聴力が途切れようというまさにそのとき、最高のコトバを発せるようになりたい、そしてそれが許されるのは近親者だ、たぶん一番は配偶者だ。日々たくさんの人間とすれ違い、二度と会わずにお互い死んでいく間柄にあって、最後の言葉を任せられる人、それがおれだ。そうに違いない。少なくともどこぞの坊さんや牧師には任せておけるか。おれが言うんだよ。

育児、したいじゃん。夫婦生活、したいじゃん。いっしょに飯を食って、食器をどっちが洗うかでもめて、子供の習い事費用をどう捻出しようか悩んで、どの保険に入るか悩んで、悩みたいんだよおれは。そんなやりたいこと、夢にまで見た夢、それが目の前の相手とはかなえられない、すくなくとも今は、そう知ったとき、夢が破れたとき、人生が途絶えてしまった気が知るんだ。だから悲しいんだ。

夢とか過去とか、時間がたつといくらでも美化されていく。悲しい気持ちもきっといつかは美化されるんだろうか。さようならさようなら、こんなに良い天気の日にお別れするなんて本当につらい!せめてどうかあなたにもパラソルを振ってくれないだろうか。そうして銀河系の端と端でまた出会えたなら、思い切り手を振りましょうか。ありがとうございました。また会いましょう。 

中原中也詩集 (新潮文庫)

中原中也詩集 (新潮文庫)

 

上の記事は以下の増田のブコメから出会いました。ぼくは教会では必ず教会に集えなかった人々のために祈る。祈ってどうにかなるものでもないけど 、いつか会えたなら笑って話ができるといいね。ラーメンを食べよう。

anond.hatelabo.jp