砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

そんなことより一升の米を炊いたから見てくれ

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このところいいことがない。やっべえ頭いてえと思っていたら持病の潰瘍性大腸炎が入院レベルで悪くなっていた。今の治療法も効かないとなるとまたどんどん強い薬や注射が投入される。もうなんか疲れてしまったよ。いつになったら終わるのか、そもそも完治しない病気だから終わらないんだよな、ああ苦しい、あたまいたい、おなかいたい、足が重い、肩が痛い、息が切れる、悲観的になる、ちくしょう。思えばいつだって自分以外の誰かの幸せのために動いてきた。喜ぶ人を称え、悲しむ人と共に涙を流し、ひたすら目の前の人を陰に日向に支えてきた。それはそうしたかったから、そういう社会にしていきたかったから、ひたすら利己的に取り組んできたことではある。それでも、こんなに苦しんでいるときに僕はひとりなのか。あー、ここには俺以外誰もいないんだな。困っていたら走って駆けつけ、悩んでいるときはひたすら寄り添っていたこの僕に、今そばにいてくれる人はいないんだな。それが無性にむなしくなってしまう。あと、今日ぼくの病気を揶揄する人に出会った。「下痢するのに痩せてないんですね」「一病息災」笑いながら言われた。人の体調や持病をどんな形であれ笑う人間はただのクズなので相手にしないが吉だが、それでも悔しくて職場で泣いてしまった。ほぼ僕専用の作業用個室があってよかった。なにが悔しいって、この先どんな幸福につながったとしても罹患しない人生のがマシなこの病気についての僕の境遇を相手の価値観で勝手に裁かれたことだ。それも笑いながら。こういうことも初めてではないけれど、いつもびっくりしてしまって怒れない。ちくしょう。

さて、前置きが長くなってしまったが冒頭の画像である。ごはんを炊くのが面倒で人生初一升の米を一度に炊いたのだ。なんかすごい、大迫力である。タケノコを茹でる用に買った鍋が役に立った。潰瘍性大腸炎なのでたけのこはもう食べられない。まだ白ごはんがたべられる状態でよかった。おいしいごはんがこんなにいっぱいあるとゆたかなきもちになる。いっぱい炊いていっぱい食べていっぱい小分けにして冷凍した。ごはんおいしい。ちょっと水が多かったけど、最近は水が少なくて固いごはんばかり食べていたので、久々にもちもちのお米を食べることができてよかった。ごはんだいすき。ひとりで食べるのはさみしいし、作ってくれる人がいないのも悲しいが、一升のごはんが全部ぼくのものになるのだ。ごはんさいこう。

「死にたくなければどう生きるか」。死ぬより辛いことが普通にある人生でどうやって生きていくか。いかに苦しかろうと、悲しかろうと、悔しかろうと、それでも、生きていかざるを得ない。それならばせめておいしいごはんを食べよう。まだおいしいという感情はぼくといっしょにいてくれた。消化の悪いものは食べられないけれど、ごはんをよくかんでおいしくたべたい。ごはん、ごはん、ごはん。君がもしつらいなら、ぼくは上等な炊飯器を買って、安くてもブランド米を買って、君に炊きたてのごはんを食べさせてあげよう。苦しくて消えてしまいたいぼくがいまだに人のために走れる理由、それはごはんなのである。