砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

お前ら付き合って(なかっ)たのか

人一倍恋愛体質の割には恋愛に疎い人生を送ってきた。中学生の頃から、いや、あのころはおれだって人気者だったんだ。高校生ぐらいだろうか、誰と誰が付き合ってる、みたいな話に急についていけなくなった。人並みに興味はあったはずである(今思えばなかったような気もする)。しかし情報が入ってこないのだ。少ないけど友達はいたし、その中のみんなが知っていたカップルのこともおれだけ知らなかったのだ。みんなそんなのどこで聞いたんだよ。あれか、おれが珍しく風邪で休んだときに号外でも出回っていたのか。

 

 

時は流れて社会人である。みんな職場結婚してる割にはカップルがいることは全く気がつかなかったし、仲の良い同期の二人が付き合ってて結婚してたことも全く気づかなかったのだ。ここでおれが単にハブられていた可能性も浮上するのだが触れないでおこう。触れないでおこう!実際にそういうこともあったんだぞ!キエーッ。でもまあ、あからさまに付き合ってるのがわかるような人たちは居て、なぜかそういう人たちはみんないつの間にかいなくなってたりしてた。異動したわけでもなく、さりとて寿退社とかでもなく、あれなんだったんだろう。

 

 

そんな中でおれは発見してしまったのだ!社内カップルを!おれは事務所のとなりの市に住んでいるのだが、その市内で花火大会があったのだ。花火なんかどうでもよかったのでおれは夕食を買いに行ったのだが、コンビニもスーパーも花火客で大混雑(ところで花見客って言うけど花火客って表現は正しいんだろうか)。うんざりしながらスーパーに入ろうとしたところ、浴衣姿の同僚女子がいたのだ。向こうもおれに気づいて「あっ」って言った気がするが、そんなことよりおれは腹が減っていたのである。特に挨拶もせず通り過ぎると、同じく浴衣姿の同僚男子が連れ立っているのを視界の端にとらえた。あっ、えっ?なんだお前ら付き合ってたのか。ふーんとは思ったがそれだけである。やはりおれは他人の恋愛に興味が無いのかもしれない。

 

 

それでも自分の知らなかった恋愛情報を入手したことに若干のうれしさがあった。そうか、高校のときのみんなは花火大会で情報を仕入れていたのかもしれない。その同僚二人とは机のシマが離れていたので、存在を認識しているとはいえ全く絡みが無かったのである。その距離感もいっそうささいな喜びを加速させた。そうか、お前ら付き合ってたのか。そうか、そうなのか。うふふ。いや、そうであることは本当にどうでもいいんだけど、「お前ら付き合ってたのか」このフレーズが頭に浮かんだ喜び、例えるなら「こんなこともあろうかと」「そのまさかだよ」「そういうところだぞ」とか、そういうともすると芝居がかった定型句がちゃんと頭に浮かんだことが自分にとっての実績解除のような気がしていたのだ。お前ら付き合ってたのか。実際その後も二人は職場で非常に仲が良かった。順調なんだなと思っていた。

 

 

ずっとその二人は仲が良かったのだが、2年ぐらいして女性の方がまったく違う男と結婚して退職していった。なんだ、お前ら付き合ってなかったのか。じゃああれはなんだったんだろう。この話の解像度の低さはおれの恋愛事情への疎さからくるのか、それとも本当に興味が無かったのか、現代人は付き合ってようとなかろうと異性とデートするのか。やっぱりどうでもよくはあるのだが、それでもおれの中で釈然としない気持ちだけが残った。お前ら付き合ってなかったのか、って不思議なフレーズですよね。