砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

エモさ漂う映画のエンディングテーマ5選

映画はエンドロールの最後までちゃんと見るタイプです。ですです。

映画が終わってもすぐには席を立ちたくないタイプです。ですです。

ところで妙にエンディングの切なさが印象に残る映画ってありませんか。

ありませんかって言っても微妙に語弊があるというか、伝えづらいので例を出します。

無間道/「インファナル・アフェア

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「どんな理由があれ人様に紹介するときはなるべく著作権法遵守」の主義の下、動画は最近になって作られたネットドラマ版の主題歌ver.となっております。

そんなことよりインファナル・アフェアです。個人的には「たとえマチズモと呼ばれてもいい。おれは男に生まれて、そしてこの映画に出会えてよかった」大賞永世7冠受賞作品です。最終的にある男が重い宿命を背負うことになるのですが、そのあとに流れるこの曲の切なさといったら。「いつになったらこの苦しみから逃れられるのか」運命に抗おうと闘い続ける男たちの悲壮感あふれる胸中を歌い上げるのは、アンディ・ラウトニー・レオンの本作主役コンビ。まったく、最高すぎて最高なのかよ。

The Show/「マネーボール

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これはリンク先の動画のほうがオリジナルなのですが、「マネーボール」ではブラッド・ピット演じる主人公の娘がアコギの弾き語りで歌うシーンがあって、それがエンドロールでも流れる構成です。オリジナルのようなポップさは鳴りを潜め、幼い女の子が素朴に歌うだけで、映画のエンディングとしては非常にあっさりしているのですが、主人公と娘の微妙な距離感とか、ライバル球団相手にデータ分析の力で戦いを挑む主人公、というヒロイックなイメージとのギャップとか、そもそも主人公は球団の改革に奔走しながらも試合は見ずに結果だけ人づてに聞くところとか、「ベストセラーを原作にブラピ主演」という事実から連想するイメージとはやや離れたところにある、どこかつかみどころのない感覚がこの1曲に集約されている感じです。

Our Sleepless Minds/「リベンジ・トラップ/美しすぎる罠」

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すっごいマイナーな映画だから音源ないかも……と思ってたらsoundcloudにあがってたぜヤッホー!な1曲。いや、マイナーと言いつつ主役はロザムンド・パイクだし、「ゴーン・ガール」とは若干ベクトルが違うけどこれまたえげつないことするしで結構印象に残る映画ではあります。画面のつくりはいかにも低予算映画という感じだし、邦題から受ける印象とは違うタイプの映画でもあるので、いまいち勧めどころを図りかねる映画なのですが、huluなど各種サービスではちょいちょい見放題になってるので何かの機会にぜひ。歌ってる人は誰なのかよくわからないけれど、サビのシャウトの切なさが、これまた本作を見た後のオオウ……な感情に程よく寄り添ってくれる感じで好きです。

曲名不詳/「オデット」

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これこそマニアックな映画で、何度かの企画上映以外では日本の映画館で公開されたことはないはずです。僕も渋谷ユーロスペースだかイメージフォーラムだかで特集してたのと、池袋新文芸坐のオールナイトで1回やってたのをたまたまどちらも見ることができたので知ったんですけど、そしてすっかりハマってしまってアマゾンでDVDを個人輸入しちゃうぐらいに好きな映画です。監督のジョアン・ペドロ・ロドリゲスと美術のジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタがゲイのカップルなこともあってか二人が作る長編はどれも同性愛者が軸に置かれているのですが、その中で本作は女性が主人公で若干毛色が違うというか。この二人の作品全般に言えることなんですが、ものすごくポップな画面が映ったと思いきや象徴的で難解なシーンに入ったり、過激な性描写などこれでもかというほどわかりやすい描写があったかと思えばまったくわけのわからない表現があったり、作品を通しての揺さぶられ方がすごい。でもそれって普段映画を見ているときに常にどれかを感じているわけで、それを1本の映画に凝縮して見せられていると思うとなんだかものすごいことなのではないか、という神秘的な魅力のある作品なのです。そうやって、面白くはあるんだけど別の世界に突き放されてしまったかのような我々を元の世界に連れ戻してくれるのが大変にエモいこの曲で、なんならこの曲を聴きたいがためにこの映画を見るような、僕にとってはそんな思い入れのある1曲です。

僕らはシークレット/「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

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若くして自殺したミュージシャンを主役に、友人の映画監督が映画の題材として撮りためていた彼やほかの友人のドキュメンタリー映像とフィクションパートを織り交ぜて完成させた映画、そしてそのミュージシャンが生前に製作しエンディングに採用されたこの曲。静かな立ち上がりから終盤への盛り上がり、7分以上の長尺とプログレっぽくて大好きなのですが、映画を見終わった後に聴くこの曲のエモさと言ったらなくって、若くしての死はそりゃあ悲しいけれども決して普通の人間ではなかったミュージシャンの彼とか、そういう悲劇的な事実を脇にやったとしても物語をけん引して周りの友人たちを動かしていく彼の凄味とか、それに比べてフィクションパートの妙な白々しさとか、そういうものがこの曲のラストの盛り上がりで爆発するんですよ。ああ、これも行って帰ってくるための曲というか、映画の中の世界から生まれていながら観客を外へ押しやる感じの曲です。

こうしてならべてみると、こう、いかんせんエモさに頼ったレビューなので、全体的に文章が論理的ではないのだけれど、書いてて楽しい文章でした。まとめると「いやあ、映画って、ほんっとうにいいものですね」しか言うことはないのだけれど、これからもエモいエンディングに出会うために映画を見ていきましょう。

どんな美男美女でも避けられる瞬間

皆がうらやみ、異性ならば誰もがその肌に触れたいと思うような美男美女であっても、絶対にみんなに避けられてしまう瞬間がある。

改札でチャージ残高が足りなかったときだ。

あの、開くと思って開かなかった改札、元の位置に戻るには中途半端に長い距離、あれをやってしまったが最後、後ろに続く人たちは必ずそいつを避けなければならない。たとえどんな美男美女であろうと、あるいはどんなに偉い人だろうと、チャージ金額が足りないまま改札に向かったが最後、後ろの人には避けられてしまうのである。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、されど人々の間に格差や差別がなくならないこの世界において、唯一誰にでも起こりうるという意味ではまさしく平等の象徴である。

なんでこんなどうでもいいことを書いているかというと、久々に休日が楽しかったからだ。1年半ぶりに土日連休になって、朝はゆっくり起きて、アマゾンプライムで「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード」を見て、最近新調したパソコンに各種ソフトウェアをインストールして、愛知県体育館にプロレスを見に行って、欲しかった本『Rプログラミング本格入門』を買って、チキン南蛮を作って食べる。楽しさを共有知る相手がいないのだけが残念だけれど(でももし誰かがこの記事を読んだら、それも解決)、考え得る最高の休日じゃないだろうか。久々に楽しくて、自分の中でバランスがとれないので、わざわざブログを書きました。

もっと楽しいことがあるといいな。現場からは以上です。

からあげ+α

今日定食屋でからあげ定食を食べた。レモンがついてきたのはいいとして、タルタルソースがついてきたのだ。わざわざ小鉢で。付け合わせの千切りキャベツにはドレッシングがかかっていたから、このタルタルソースはキャベツ用ではなくからあげ用だろう。

しかし、からあげにタルタルソースとはあまりに過剰すぎないか。あの旨味にあふれた鶏肉に、これまた旨味しかないしょうゆ、しょうが、にんにくを漬け込み、あまつさえ油で揚げてしまうのだ。この時点で過剰とも思えるからあげに、さらにタルタルソースとはいかに。カキフライからの連想であっさり受け入れてしまいそうになるが、よく考えるとおかしいだろう。法律で規制すべきと言っても過言ではない。

しかし食べてみるとこれがうまい。わかっていたがうまい。外しようのないうまさ、揚げ物に油を重ねるという神をも恐れぬ所業、かつて飢饉に苦しんでいた先祖たちも草葉の陰で喜んでいるに違いない。

そういえば先日別の店でもからあげ定食を食べていた。そこでもマヨネーズがついていたが、それはキャベツ用だったように思う。しかしこのからあげ定食にはからし醤油がついてきたのだ。例のごとく小鉢である。からし醤油とはこれいかに。そもそもからし醤油なんてあまりなじみがない。からしはとんかつには使うがからし醤油ではないし、強いて言えば焼売にはつけるだろうか。それにしてもメジャーというほどではないだろう。

だがしかしこれもうまい。塩辛さやスパイシーさには縁が深いからあげであるが、からしのようなツンとくる辛さともなかなか相性がいいのだ。そして言うまでもなくしょうゆは正義である。白状しよう、キャベツ用かと思われたマヨネーズもからあげにつけて食べた。しょうゆ、からし、マヨネーズ。個性的な面々が集まって独自のグルーヴを生み出すさまはまるで安田大サーカスのようであった。

ちなみにどちらの店も味濃い文化の総本山・東海地方である。どちらもばっちり赤だし付きである。こうしてぼくは潰瘍性大腸炎であるにも関わらず脂っこいものをモリモリ食べ、血便を出したのであった。

そんなことよりクレジットカードの引き落としの入金を忘れていたことに気づいて血の気が引いている。踏んだり蹴ったり。現場からは以上です。

人生がつらいので吉岡里帆の話

うう、つらい。何がつらいかというと、ここ1ヶ月ぐらいでケータイとパソコンと車壊した。借金がウン十万ほど増えた形になります。つらい。ほかにも、会社で希望出してた部署に異動できるかと思ったらほかの部署から声がかかって、その上司がいい人だったから了解したものの上司が変わってこれがまた相性の悪そうなタイプで、しかも辞令が出ているのに今いる部署のほかのチームが忙しい(僕は全く関係ない)からって異動できていないという、なんだかよくわからんが愛社精神なるものが消え失せていくようだよパトラッシュ、萩・津和野へ旅に出たいよパトラッシュ、という次第でございます。あとはまあ、その、夏目漱石の『こころ』とか読んだね。ハハハ。

 

前置きが長くなったけれど、今回は吉岡里帆の話です。うちにはテレビがないので「カルテット」ほか出演作を見たわけではないのですが、ネットでどんぎつねのCMを見たり、彼女が出演するラジオを聞いたりはしていたので「なるほど、これがかの吉岡里帆か」「”よしお”なのか”りほ”なのかはっきりしないな」などと思っておったのです。

そんな彼女ですが最近プチ炎上というか、過去のグラビアの仕事について語ったインタビューがちょっと話題になりました。どちらかというとまとめブログが拡散された感じですが、元記事はこちら。

sheishere.jp

まあ、グラビアやりたくなかったって言われるとそれが好きだったファンはがっかりするのはもちろんわかるわけですが、これ、ちゃんと読むとむしろ水着姿よりもぐっとくること言ってるんですよ。

私は水着姿なんて絶対出したくなかったし、両親からも、「本当に結婚するような人にしか見せちゃだめ」という教育を受けてきたから。

はい身持ち堅い。身持ち堅いです。そして親の言うことをちゃんと聞きます。えらいです。経験上、こういう女の子はお父さんにもちゃんとバレンタインにチョコをあげます。三方よしです。素晴らしいですね。

それを、全国区の、ワンコインで買える週刊誌で披露して、1週間後には廃棄処分されて。こんなに脱いでも、翌週には別の女の子のことを見るんだろうなと思うと、自分のその「旬すぎる時間」みたいなものがすごく辛かったです。

はいここ、里帆が気にしてるのは「翌週には別の女の子のことを見てるんだろうな」ってことなんですよ。これってつまり、「ずっと自分のことを見ていてほしい」ってことじゃないんですかね。里帆がですね、自分だけ見てほしいって言ってるんですよ。しょうがねえなあ、そこまで言うなら?そこまで言うんだったら?まあなんていうかさあ、おれも女の子には恥かかせらんないっていうかさーもうしょうがねえなー

嫌なんだけど、自分の夢をつかむために、それをやってほしいと求めてくれる人がいる以上、その人たちに応えるのが私の生き方だということに抗えなかったんです。

はい、求められるとがんばっちゃうタイプです里帆。最高じゃないか里帆、かわいいな里帆。でもこういうタイプはがんばらせすぎるとエネルギー切れを起こすのでほどほどにしておくのが大事です里帆。時にはこっちがサービスしたりあえて会わずにひとりにしたり、そういう時間を経てより仕上がっていくと思います里帆。

週刊誌を見るときに本当に考えてほしいのは、写真に写っている子たちは、一世一代の賭けをしているということ。消耗品になることを前提に脱いでいることも含め、いろんなことを思いながら、そこで笑顔でいるんだよっていうのをわかってほしいなと思います。

はいここでハッとさせに来ます。ある意味女性との恋愛全般にもいえるのかもしれませんが、女性は消耗品になり得る可能性を常に持ってるんですね。例を挙げればきりがありませんが、女性は男性にとって非常にわかりやすい魅力を持ちうるが故に安易に消費されやすい。それを改めて気づかされました。現実の女性はそういうものを抱えていること、そして写真や画面のなかの女の子たちへの敬意を忘れないこと、里帆が教えてくれました。倫理的にもしっかりしています。

と、ここまで里帆里帆言ってるうちに、元記事で対談相手の吉澤嘉代子の言う

里帆ちゃんこそ、運命かもって思わせるような人なんですよね。この先もう会えないかもしれないけど、今、なにか繋がれたかもって思うような感覚を共有できて、それでいいと思えるような。ゆきずりの恋でもいい、みたいな……。男の人にも思ったことのない感情を抱かせるような人だなと思います。

的なものに自分がすっかりはまってしまっているのではないかという気がします。おおっと危ない。僕はずっとしょこたん一筋と決めていたのに。

というわけで吉岡里帆の話でした。吉岡里帆について考えている間だけは人生のつらさを忘れられますね。みなさんも吉岡里帆について考えてみてはいかがでしょうか。バイラルメディアのような締め方。現場からは以上です。

 

期待していたものに裏切られたと気づくのが、創作の中でも耐えられない

「劇中の人物が恥をかくのが耐えられない」という症状はネット界隈ではすっかり有名になりましたが(ぼくはそれには該当しない)、ぼくの場合はタイトルの通り、その人物が期待していたものが得られなかったとき、実は存在しなかったとき、反故にされたとき、あるいは登場人物全員が良かれと思って動いていたのに残念な結果になるシーンを見るのが耐えられないのだ。

一番印象的なのは、CSでたまたま見ていたアニメ「タイガーマスク2世」のとあるエピソード。実在のレスラーが登場する中で、アブドーラ・ザ・ブッチャーが出てくる回だったんだけど、それがトラウマなのだ。記者とのやり取りの中で「今の奥さんとっても美人ネ」と陽気に語るブッチャーだが、過去に妻と子供に逃げられているらしい(このあたり現実のブッチャーがそうだったのかは不明)。その逃げられた時の回想シーンが、家族への土産をたくさん抱えて笑顔で帰ってきたブッチャーが置手紙を発見して泣くというもので、帰ってくるときのブッチャーがあまりにも楽しそうでその後の落差がすごいのだ。だいぶ前、たまたまつけたテレビで見たので詳細はあまり覚えていないが、これがとにかくトラウマで、いまだに思い出しては落ち込んでしまう。

あと、前におそらく日テレ系でやってたスペシャルドラマで、母親役の観月ありさが子供たちを連れて駅弁祭りに行くんだけど、夕方でもう品切れで買えないというシーン。「だってチラシに書いてあるじゃないですか!」と訴えるもむなしく、目の前で駅弁祭りの撤収作業が進められていくのだ。これも、主人公たちは事前にものすごく楽しみにしていたのに、それが叶わなかった。早く行かなかったのが悪いのは間違いないんだが、間違いないんだが間違いないんだが間違いないんだが、このままでいいのか。エクスペンダブルズ2のスタローンばりの悔しさをにじませつつ思ってしまうのだ。

あとあれ、これは創作じゃないんだけど、中学時代の担任だったS先生、学生時代に女性を連れて県内唯一の遊園地に行ったんだけど、トイレに行っている間に車のワイパーに「先に帰ります」というメモが挟んであったらしい。うわーきっつー。昔の話だから先生は笑いながら話してくれたけど、当時の心境を思うと大変につらい。聞いているぼくらも当時は愛とか恋とかそんなことはわからなくて、さながらドジな高木ブーを見て笑うような感覚で聞いていたんだけど、今になって身につまされる話になってしまった。うわー。あー。

冒頭の、恥をかくシーンへの反応には確か名前があるのだっけか、だったらこっちにも名前を付けて、心から引きはがして対処できるようになるといいのに、と思う毎日です。うう。各位、やっていきましょう。

上記ツイートと本文の内容は一切関係ありません。

現場からは以上です。

ブロークン掃除機

最近、出世ではないんですが責任ある仕事を任されたというか、もしくは人手不足で猫の手まで借りたくなったか、あるいは一度喧嘩した上司の嫌がらせかという人事異動がありまして、予想もしなかったタイミングで大きな仕事が回ってきました。だからなのかなんなのか、身の回りに物を増やしはじめまして、給料は変わらず残業は減ったのでむしろ手取りはこれから下がるうえ、家から非常に遠い職場なので残業減った分通勤時間が伸びて可処分余暇が減ったのですが、毎週家電が増えていく日々を送っております。元々自分中で比較的興味のないものは買わない主義で、学生時代に一人暮らしを始めたころは風呂場に詰め替え用のボディソープだけ置いて全身を洗うような生活をしていたので、おやどういう風の吹きまわしかしらと思っていたのです。

だからこれまで掃除機も持ってなかったんですね。掃除がしたいときは箒とちりとり、クイックルワイパー、あとコロコロで床を全部掃除していたのですが、体調を崩してからは、端的に言うと「これぞ男の一人暮らし」という部屋になってしまったので、これはいかんと思ってつい数か月前に掃除機を買ったんです。まあ、確かにヨドバシカメラの店頭で適当に安い奴を買ったのも悪いんですが、こんなにも早く折れるとは、なんともやるせない気持ちでいっぱいです。

あれ、もしかしてこれ、保証期限内?人生初の家電リコール来るか?

現場からは以上です。

3大欲求のジレンマ(トリレンマ)

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この画像は以下の記事からお借りしました。

portal.nifty.com

上の画像は甘えびを餌にオオウナギを釣ろうとしていたところ、交尾中のカニが釣れてしまった時の写真。記事中でも触れられているけどこのカニ、交尾しながら食事もしようとしているのだ。すごい。貪欲である。

食欲、性欲、睡眠欲が人間の3大欲求と言われているが、ぼくは昔からこれらを同時に満たせないものかと考え続けてきたのだ(特に性欲で頭がいっぱいだった中学生ぐらいから)。上記の画像のように交尾中に食事ができれば性欲と食欲が同時に満たされるように思える。が、これまた記事中で言及されているように、どちらかに集中しないといけないだろうという気がする。そうしないとなんか、いろいろと怒られる気がするので。

交尾まではいかなくても、例えば美女とふたりで食事をしていれば、これは性欲と食欲を同時に満たしていることになるんじゃないか。これならそこそこ現実的だし、ごく普通の光景だ。

しかし、ここで強欲にも睡眠欲まで満たそうとすると話は一気にややこしくなる。そもそも寝ないと睡眠欲は満たせないからだ。寝ていては食べられないし性欲方面もいろいろ難しいだろう。美女と食事するという夢を見る、というのも思いついたが、これって目覚めたときにすごくがっかりするパターンである(ちょいちょい経験するからよくわかる)。だが、睡眠を体を休める行為だとすれば(記憶の整理云々を除く)、目をつぶって横になっているだけでも効果はあると聞く。ならば目をつぶって横になった状態で、女性に抱きしめられながら食べればいいのではないか。うむ、これが一番理想に近いのかもしれない。

でも食事も魅力的な異性も、視覚によって得られる快楽というのは大きい。だから目をつぶってしまった時点でいろいろと台無しである。やはり3大欲求をそれぞれベストな状況で満たすのは無理なようだ。まあそもそも論を言うと、一度に待たさなくても順番に満たせば全く問題ないのである。中学生のおれよ、いまだにこのことは解決を見ない難問であることよ。

現場からは以上です。