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砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

 何か書いてやろうとか、表現してやろうみたいな衝動はあったもののどうしていいかわからず、自分で日記を書いたりとかはしてたのですが、これブログでやればよくね?と思って勢いで作ったんだったと思います。あと勉強の進捗とかプログラミングのコードとかポエムとか雑多に集めたポートフォリオ的なものを作りたかったんだと思います。あとデイリーポータルに投稿したかった。

2.ブログ名の由来を教えて!

 「逆境ナイン」という漫画に亀谷万念というキャラがいまして、王貞治に憧れる男なのですが、彼は亀谷万年堂のナボナ(「お菓子のホームラン王」でおなじみのブッセ的なやつ)が好きなんですね。それを見て実際にナボナを食べたらおいしくて、あとイタリアのナヴォーナ広場が名前の由来というのもかっこよくて、以来「ナボナ」という名前がすごく印象に残っていたのです。ただこのナボナ、パサパサしてるわけではないものの食べるとお茶がほしくなる感じでして、これを砂漠で食べるとしたらさぞ鬱陶しかろう、というのがブログの名前を考えているときに思いつきまして、今に至ります。

3.自分のブログで一番オススメの記事

ダントツでこれ

k-point.hatenablog.com

デイリーポータルに投稿したいとは思いつつ、でもなかなかかけない日々か続いていたころ、新人賞の記事募集を見て重い腰を上げて書いたエントリ。かなり足を使ったのでそれなりに思い入れがあるのですが、賞にはかすりもせず。でもこういうぼんやりした思いをかっちりと書いた記事が好きです。またこういうの書きたい。

4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

 はせおやさい氏も言ってますが、自分の身に起こったことを過去にしてしまえるのはすごくいい。前までは割と嫌なことがあると「あんなつらい出来事をいい思い出などにしてなるものか」みたいなことを考えてるめんどくさい奴だったのが、とりあえず文字にして処理してしまおうと思えるようになりました。たくさんの人に読んでもらえたこれ

k-point.hatenablog.com

の元ネタも割と痛みを伴う出来事だったわけですが、それを書いてみたら「エモい」「切ない」「エモい」と普段めったに頂戴しない感想をもらえて、自分の中でも「ああ、そういう出来事として受け止めてよかったのか」みたいに思いました。自分への自信のなさのせいか、自分の抱いた感情に対して、こんなことを自分は思ってはいけないと思ってしまうことがたびたびあるのですが、自分がいくつか特定の感情を抱くことを肯定してもらえたような、そういう体験でした。あと、ぼくは大学で割とクソまじめに文章の書き方を身に着けてきたので、根拠も説得力もないような文章を書くのは恥だとか思ってきたのですが、自分の感情などというあいまいなものベースでも読んでくれる人はいるのだと知れたこともうれしかったです。

5.はてなブログに一言

 「はてなブログSEOに強い」のかはよくわかっていないのですが、楽しく利用させていただいております。はてな村なんて七面倒くさいものが形成されて大変だとは思いますが、運動と瞑想と野菜350g(オキシトシンと筋肉はオプション)でがんばってください。

今日買った本

 

不格好経営―チームDeNAの挑戦
 

 

1からの流通論

1からの流通論

 

 

デスマーチ 第2版 ソフトウエア開発プロジェクトはなぜ混乱するのか

デスマーチ 第2版 ソフトウエア開発プロジェクトはなぜ混乱するのか

 

 

企業会計入門 -- 考えて学ぶ 補訂版

企業会計入門 -- 考えて学ぶ 補訂版

 

 

 上から3冊はブックオフで買いました。急に中西準子「環境リスク学」がほしくなって、そういえば前に東京のブックオフで見たな、なら名古屋のブックオフにもあるんじゃないかと思って行ってみたら無かった(そらそうよ)けど、そこそこ欲しかった本が買えてよかったです。ここ最近ブックオフでの当たりを見つける確率が高いのでうれしい。「不格好経営」はすぐ読めそうだから早いうちに読んでしまおうと思います。下2冊は新品で買いました。「企業会計入門」は、いよいよ会計のこととかわかっておいたほうがいいかなと思って買いました。学生のころに簿記の勉強とかする人を見ては「就職に役立つから、なんていいながらあんなどうでもいい資格を取ろうとはなんと安易な選択か。ばかめ!」などと失礼なことを考えていたことに関してはお詫び申し上げます。とはいえ、簿記と会計はまた違うものですしぃなどと言い訳など。wiredはスノッブ臭がきついのでこれまではweb版を読むだけにとどめていたのが、アントロプノス「ビットコインとブロックチェーン」に挫折したので、その勉強用にと思って買いました。ちらっと読んでみるとブロックチェーン関連の用語は明確に定義されてないものも多いとのことなので、アントロプノス本冒頭の用語解説でぼくが挫折したのも無理はなかろう、ということにしておいてください。

今日買った本

 

コーポレート・ガバナンス (岩波新書)

コーポレート・ガバナンス (岩波新書)

 

 

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 

ミクロ経済学[増補版]

ミクロ経済学[増補版]

 

 お勉強の本と、いよいよ二村ヒトシに手を出したかというラインナップになりました。お勉強用の2冊は何度目の正直かという決意表明ですが(42回目ぐらい)、林ミクロは大変に挑発的な本(ということは以前から知ってるくらいには興味があったのに読んでなかった)なので読むのが楽しみ。また個別にエントリを書くかもしれません。そして「すべてはモテるためである」を読まなければはてな村のポエマー界隈ではやっていけないと思いこれも購入。「お前は気持ち悪い」と何度も断言されるということがどういうことなのか身をもって体験したいと思います。

 

私と星野源 ~星野源9thシングル「恋」発売に寄せて~

ジェーン・スーが好きなやつは絶対星野源が好き、ていうかジェーン・スーが星野源好きなんだもんでもそういうタイプの女性は「変わった人が好き」「個性的な人が好き」とか言いつつおれみたいな他者に恐怖と違和感を与えるようなガチの変人、もしくはただのめんどくさい人のことはウルトラダイナミックフルソウルダイナマイトスルーしてしまうのでちくしょうこのやろうwitnessMe!的な暴言を吐くことも辞さないという今日この頃ですがいかがお過ごしでしょうか。そんな大人になるつもりはなかった。でもまじめに会社勤めはしているので許してほしい。

 

「恋ダンス」フルver.期間限定公開!! +予告動画 10/18(火)『逃げるは恥だが役に立つ』【TBS】

ここは石田ゆり子のかわいさにも触れておきたい。化け物か/星野源がどんどん遠くに行ってしまう。ミュージシャン出身の個性派俳優ぐらいに思ってたのがすごいことになってんな

2016/10/14 09:38

 

youtu.be

なんかブコメでは冷静ぶって皮肉っぽいこと書きましたがこのところの星野源が最高すぎるんですよね。アルバム「YELLOW DANCER」が発売されたころに「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」で件のアルバムの楽曲解説を本人がやっていたんですが、そのときに構成作家古川耕だか誰かが言ってた「誰しも経験する『音楽に救われる瞬間』みたいなものを思いっきり感じさせてくれる」的なニュアンスの発言が大変に腑に落ちまして、ええもう最高だったんですよそのアルバムは。で、続けてこれじゃないですか。「時よ」に続いてのアップテンポかつPerfumeの振り付けでおなじみMIKIKO先生が振り付けした(と言及されているのをブコメで見た)曲なんですが、なんというかよいですね。よいですねとしか書けない時点で私の音楽ライターになる夢は閉ざされてしまうのですがよいですね。「恋」のインストには「ダンスミュージックっぽくないダンスミュージック」「誰にでもある恋」的なことが書かれているのですがよいですね。よいですね。ドラマでは契約結婚をした夫婦を描いているようでこの曲でも夫婦について歌っているような感じではあるのですが、かといって多感な中学生がこれを聞いてもなんとなく意味は分かるだろうぐらいの塩梅なんですよ。よいですね。特に「指の混ざり」っていう歌詞、官能的でもありでもどこかとぼけた感じがするじゃないですか。指は「嚙む」もしくは「絡ませる」ものであって「混ざる」ものではないわけですよ。ええ、よいですね。なんかふたりの指が絡まってる様子も浮かぶし、ひとりでなんとなく手すさびに影絵やってる感じにも思えるじゃないですか。で、そこからの「夫婦を超えて行け」ですよ。これはですねえ、ワタクシ史上最高の作詞家として一部の好事家たちに有名である井荻麟a.k.a.富野由悠季の大傑作「愛の輪郭」を超えたという気がするのですよ。というかよいですね。というか。よいですね。というか超えてはいないのですがポップさにおいて圧倒的に上回ったわけですよ。よいですね。結局のところポップさが大事だというのはカート・コバーンも言っているわけでしてところでカートコバーンとセクシャルバイオレット巫女みこナース!って響きが似てませんかポップなのはえらいなあと思うわけでした。よいですね。

で、私と星野源との出会いはクドカン脚本のドラマ「未来講師めぐる」でありまして、生徒たちから「エロビデオ」と呼ばれ蔑まれる塾講師・江口ひでおをそれはもう熱演していたわけです。思えばその劇中曲「ぉ前達ァヵデミナール」をテレ朝のモバイルサイトでダウンロードしたのが初めて星野源の作品にお金を出した時でした。とはいえ当時は勝地涼のラップの勢いの良さにばかり注目しておったので星野源という名前もそんなに覚えておらず、星野源という名前を覚えるのはその後たまたま聞いたオールナイトニッポンクリエイターズナイトという一時期月曜日にやってた週替わりのオールナイトニッポンでごわした。ほかのパーソナリティが大宮エリーとかだったり「星野さんはどうしてそんなマイナーな音楽ばっかり知ってるんですか」なんて質問がリスナーからくるあたり「自分のことを変わってるとか思ってるやつはその時点で大したことねえんだよ、けっ」ととんがってた当時のおいらは思ったのですね。そこを踏まえて冒頭の変人アピールとか読むとよいですね。おれが。

その後立ち読みした雑誌で星野源が映画評かなんか書いてたんですが、それがいわゆる自分の個人的な体験をもとにしないと話を持たせられないタイプの映画評でして、これまたとがってた当時の私は「けっ」と思ってたんですね。いなせだね夏を連れてきた人渚まで噂走るよ「けっ」。その後「箱入り息子の恋」とかに出てるのを見て、ああ童貞キャラで売っていくのね、よいね。と思いつつ彼をよいもの扱いするにはまだ抵抗がありました。だって当時でもまだ彼のことを「エロビデオ」だと認識してましたから、あの役ホントにハマってたよ。それで病気療養とかしていると聞いて「売れてきたのにかわいそうに」と思ってたんだスが、もうその後は気づいたら「SUN」とかなわけです。よいですね。というわけでわたしはもうすっかり星野源に関してよいですねとしかいえないわけです。ここは元バンド仲間で同じく俳優のハマケンの捲土重来が待たれる、とか書いてたら彼もものすごく売れまくってますね。よいですね。

 

 

死ぬ気でがんばっても何もない、という話

こんな夜中に電通の労災の件についての記事を読んだものだから、なんかいろいろ考えこんでしまって眠れない。来月には近くにメンタルクリニックができるから行ってみようかしら、私はそういう感じですがいかがお過ごしでしょうか。おれは記録がないから過労死しても労働時間が記録されないんだなあなどと暗い気持ちになっております。

さて、それとは関係なく前々から考えていたことなんですが、「死ぬ気でがんばる」っていう言葉があるじゃないですか。今の会社に入社した当初同期が自分で言っているのを聞いたことがあるし、別の同期も先輩に怒られついでに「死ぬ気でやれ!」と怒鳴られたことがあるそうで、とにかくネガポジ関わらず一般的で、字面の過激さの割には結構安易に使われがちな言葉かと思われます。一方ではてな界隈なんかでは上記のような事件の記事に「死ぬ気でがんばると結構死ぬ」というフレーズがもはや定型句としてブコメに現れたりします。

で、私という人間は、結構死ぬ気でやればなんとかなっちゃうんじゃないかと思ってる人間なんですね。中学時代に科学部のみんなでドームから自作したプラネタリウムとか、高校生の時になんとなく立候補しちゃった生徒会長とか、提出10日前にパソコンクラッシュしたけどなんとかなった大学の卒論とか、今の仕事は1日にやるべき作業量が決まっているため残業はあっても1日で終わらないということがないので例外としても、今まで意外と何とかなっちゃってるからまして「死ぬ気」を担保にすればなんでもできてしまうのでは、という全能感にも近いものがあるのです。いや、正確にはあったのですよ。

その考え方を変えたのがこれ。

www.targma.jp

この展覧会は全国でやってたらしいので、この記事のものとは若干違うかもしれないし(私が見たのは渋谷での展示)記事は課金してないので全文読めないからわからないけど、要するに死刑囚たちが描いた絵を集めた展覧会です。主催が死刑に反対する団体なので「死刑囚だってこんな素晴らしい絵を描くんですよ!人の心があるんですよ!」みたいな意図が感じられたんだけど、まあそれはおいといて。で、何が言いたいかというと、この展示会の作品を書いた人たちって死刑囚なんだからもうすぐ死ぬことが決まってる人たちなわけですよ。そりゃ本当にいつになるかは知らされていないんだろうけど、近く死ぬことが決まっているなら、それはもう死に物狂いで生きてる人たちなんじゃないかとぼくは思ったのです。きっと描いた絵も、それこそ「死ぬ気で」描かれたものなんだから、きっとすごい作品がたくさん見られるに違いないと思っていたわけです。

でも、そんなものはなかった。確かに上手な作品はあった。リンク先の記事の画像の作品も見たし、上手いとは思った。でも、ぼく程度が「上手い」って表現するぐらいなので、程度としては美術部の高校生が頑張って描いた、県の学生展覧会には展示されるだろうな、ぐらいの作品でしかなかった。有名な画家の作品にはそうとは知らされなくても鬼気迫る何かを感じることができるのに、死刑囚たちの描いた絵には、彼らが死刑囚と知らされなかったら特に気にも留めなかったような作品しかなかったのだ。そういうのはまだいいほうで、まともな絵画ですらない、吹き出しの中で人物が死刑反対のセリフ(縦書きなのに左から右へ書かれていた気がする)を述べるだけの漫画のような作品もあった。何をもって芸術をするかは権威主義が云々だけれど、あれを芸術作品だとはとてもいうことができない、幼稚な代物であったと思う。

そのときぼくは、ああ、死ぬ気でやっても何もできないんだなと悟った。ぼくはそれこそ今からでも死ぬ気になればピカソなんて目じゃない絵が描けるもんね、ぐらいのことを、本心ではなくても心のどこかで思っていた気がするのだ。でも、そこまで到達するには芸術作品とは何かを自分なりに考えたうえで世間一般の考えと照らし合わせて、そこに合わせていくのかそれともあえて違う方向に行くのかを決めて、そこからさらに試行錯誤を重ねて技術を積み重ねないと、あるいはよほどの天才でないと到達できない、もしくはそこまでやっても無理なものなのだということを、あの展覧会で思い知った気がする。自分の心のわずかなスペースで伸ばしていた鼻は完璧にへし折られて、でもそこをよりどころにしていた部分もわずかにあったので、ぼんやりとした無力感を覚えながら家に帰ったことが印象に残っている。

ただ、それと同時にわいてきたのは、死ぬ気でやっても何もできないのだから、やりたいことはとにかく前倒しでやろうという決意だった。老後は絵を描くことを趣味にしたい、そして技術的に高度なことがやりたい、ならば今すぐに絵具と紙を買ってきて始めよう。就職するのは仕方なくであって、本当は小説家として食べていきたい、ならばとにかく紙でもパソコンでもいいから1文字でも書こう。死ぬ気でやればなんとかなる、というのは幻想であって、仮に死ぬ気でがんばったとしても納得のいくクオリティには到達できないしそのことにがっかりしながら本当に死んでしまうかもしれない。だからこそ人生にやりたくないことをやってる暇なんてない。「死ぬ気」なんて軽い言葉を当てにするな。今すぐやれ。そういうことが自分の中に深く刻み込まれた。

翻って今の自分を見るに、本当にやりたいことができているかといえば答えはNoだ。所詮そういうものでもある。今は準備期間だからとかいろいろと言い訳はあるけれど結局やっていない。でも「死ぬ気」を当てにすることはなくなった。やりたいことはすぐに実現するにはどういう手順で何をしていけばいいかを具体的な目標として考えるようにはなった。やりたくないことと並行してやりたいことをどうやって実現させていこうか、時間の限られた中で何をしていくべきか、それを考える癖はついた。それを実行するのは様々な不確定要素によりこれまた滞っていたりするけれども、「死ぬ気」使用ルートを夢想することはなくなった。死ぬ気でやればなんとかなる、というのは優しい嘘であって、そんなものは幻想にすぎないということが自分の中にがっちり埋め込まれたのは間違いない。そう生きていくのが自分の人生だと強く思っている。

 で、最初の話に関連付けるなら、死ぬ気でがんばることはそもそもナンセンスなのだから、伝説のこれとか

hase0831.hatenablog.jp

を思い出しながら書いていたわけです。普段は早くて30分1000字のペースなのが倍ぐらいの速さで書いちゃったので疲れました。寝ますね、おやすみなさい。

 

そうか、過去にすがってもよかったのか

今日は休みを取って東京に行きました。以前スーツを作ってもらった仕立て屋さんに新しいスーツを作ってもらいに行った(ちょっと派手なスーツになりそうでどきどき)のと、今回はこっちがメインなんですが、恩師が主催するイベントに行ってきました。とある著名人の講演会だったのですが、これが大変に刺激的で面白かったです。詳しい話はまたの機会に。その後は懇親会があったのですが、お世話になった先輩や同期も参加していて、ちょっとした同窓会みたいで楽しかったです。いわゆるカタい職場でホワイトに働く人、なにかと問題を抱えた職場でそれでも充実した日々を送っている人、業界の最先端にいながら新たなフィールドを探そうと試行錯誤している人など、いろんな人がいました。

元々、最近今の職場の雰囲気に染まりつつあるけど自分はこれでいいのか、と感じている部分があって、自分の視野を広く保っておきたいと思って参加したんですが、とてもよかったです。自分が職場に感じている違和感が、これは同僚に話すと否定的な返事が返ってくるんですが、傍から見れば実際におかしいものであると指摘されたり、自分がもう当たり前だと思っていたことがやっぱりおかしいものだったり。元々彼らと何でも話せるような関係だったというわけではないのですが、同じ教師の下で学んだという縁からか、それなりに僕のことを気遣ってくれたり、冷静にコメントをくれたりしたことがとてもうれしかった。僕はOB・OGが伝統とか自分たちの美化された思い出をかさに着てずっと昔話に興じるような状況がとても嫌いで、すでに抜けた集団に戻るような行為はあまり気が進まなかったのです。しかし久々に会う人との交流がこんなにも刺激的ならば、上記の考えを改めてもいいのではないかなと思い始めました。決してそれは後ろ向きではないし、新しい流れにつながる期待もありました。あまり入り浸るようになってもいけないけれど、共に学んできた仲間とたまに交流するのは全然アリだな、と思えるようになりました。

ツイキャス始めます 2016年10月2日

今日は前から気になってはいたけれど高くて買えなかった本を買ったり、初めて香水を買ったりしました。結構冒険の日です。新しいことをすると自分の幅が広がった(気がした)り、世界が立体的に見えるようになった(気がした)りして楽しいですね。

ところで、先日なんとなくツイキャスをやってみたのですが、これが意外と楽しかったので気が済むまで続けてみようと思います。このブログに書いていることは自分の頭の中で何度も考えていたこと(映画評除く)ばかりなのですが、考えているときは結構誰かに話している自分をシミュレーションしてるんですね。で、バカ受けしているところを想像してニヤニヤすると。とはいえそれが実現したことはないのでこうしてブログを書いているわけなんですが、構想中に話している自分を想像するのならば、実際に話してしまえばいいんじゃないかと。いや、もちろん話し出すと何を話そうと思ったか忘れたりするんですが、誰に聞かせるわけでなくとも、音声としてアウトプットを残しておきたいみたいな思いもあるのです。例えるなら、英語の学習も書き取りだけじゃなくてリスニング、シャドウイングも併せてやると上達するみたいな感じをイメージしてます。

というわけでしばらく夜11時~12時の間で手が空いたらやります。お暇だったら聞いてください。

MATSUSHIMA K-point (@carbonphilia) 's Live - TwitCasting