砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

お盆初日、タクシーでの会話

2016年8月11日、世間は連休初日ながら翌日が休みなだけで仕事漬けの残念なお盆に、転勤する同期を囲んでの飲み会があった。前から行く気満々であったにもかかわらず場所を調べておらず、仕事が遅くなって焦っていたぼくは駅前からタクシーを使うことにした。会場までは徒歩10分と聞いていたので「近くだけどいいすか?」と言いながら乗り込んだのだが、詳しい場所を告げると「いやあ、そこなら今日は長距離ですよ」と運転手は答えた。

聞くと、近頃は超短距離の客ばかりなのだそうだ。ひどいときにはタクシー乗り場があるロータリーの向かい側が目的地だったことがあるらしい。「お盆だから帰省(彼は”きしょう”と言っていた)した人とかいると思ってたんだけどねえ」と言っていた。ちなみに場所は名古屋なのでそんなに帰省する人はいないと思う。最近はとにかくタクシーがもうからないそうで、手取りも15万円だと言っていた。初任給かよ、というレベルだが彼が運転手を始めた40年前はサラリーマンが20万円もらっている一方で30万円稼げたらしい。やっぱ昔は景気良かったんだな~と自分が生まれる前の世界に思いを馳せた。そこからはしばらくタクシー運転手disが始まった。彼曰く、まともな人間のやる仕事ではないらしい。前述の通り給料は少ないし、彼も適当な人間を自称していたので、そういう人間しかやらない仕事なのだそうだ。

そんな彼も昔は自分でいくつも事業をやっていたらしい。食品加工、貿易商(「かっこいいっすねえ」って言ったら「そりゃかっこいいよ!」って言われた)、医療器具の輸出なんかをやっていたそうだ。そんなとき、よく聞き取れなかったのだが、彼がボソッと「運転手やるのに修士号なんて役に立ちませんよ」って言ってた気がする。聞き間違いかもしれないが、推定60~70歳の彼が本当に修士だとしたら相当なエリートだろう。言葉にならないモヤモヤした感情が沸き上がるのを感じた。

普段は人見知りなので美容師と話すのも苦労するぼくなのだが、そのときは焦っていたからか妙に会話が弾んだ。とはいっても運転手が勝手に話すばかりで、彼はぼくの話をほとんど聞いていないようだった。「お盆なのに全然休みないんですよ」とか、料金が800円ぐらいのところ「わざわざ長距離ありがとうございました」ととぼけてみたけど特にリアクションはなかった。でも、なんだろう、タクシーを降りてからなんだか妙な高揚感を感じたのだ。着いたビアガーデンではラストオーダーも過ぎてほぼ飲み食いしなかったのにきっちりコース料金を取られた。そのことも相まって、ひどくふわふわした、現実感のない時間だった。仲の良かった同期なのでそれなりにエモーショナルな感じにもなったのだが、タクシーでの会話の印象が強すぎて抱き合って泣くまでは至らなかった。本当に何だったんだろうあのひとときは。さて明日も仕事に行かなくちゃ。

絵本「いつもいっしょに」をめぐるそれこれ

先日書いたブログに「エモい」「エモい」とたくさんのコメントを頂戴しまして、とてもうれしい反面、こんなうすのろのボンクラがこんなこと書いちゃって大変申し訳ございませんという気持ちにもなりました。

k-point.hatenablog.com

一方で、どうしてこんなにエモい文章を書いたのか、自分にこの要素がいつからあったのかなあと思い起こすうちに、1冊の絵本が思いかびました。それが「いつもいっしょに」という絵本です。

いつもいっしょに

いつもいっしょに

 

 なんだか前から本屋で見かけていたような気がするのですが、2008年の出版だったんですね~。初めて読んだころは、それはもう気分が沈んでいた時期で、今まで自分が好きだったものとか夢中で追いかけていたものに対して一切感情が動かなくなっていました。そんな折に東京都内の某書店でこの本を立ち読みしました。元々自分の視野を広げたくて時々「自分が想定読者として考えられていないであろう本」、例えば女性向けのファッション雑誌とか立ち読みしてみることはあったのですが、この日はたまたま、そういえば児童書ってほとんど読まないな、と思って手に取ってみたんです。そしたらもう号泣。ひとりぼっちのくまの所に無口のうさぎがやってきて、ふたりは一緒に楽しく過ごしていたけれど、何を聞いても黙ったままのうさぎに対してくまはついに……というあらすじで、帯のキャッチコピーとか読んでいるときに感じる大人向けのあざとさなんかが正直鼻につく瞬間はあるのですが、当時の私の心には妙に刺さりました。孤独なくまは家の前で凍えていたうさぎに最初に食事を作ってあげるのですが、その食事を作るシーンのくまがそれはそれは楽しそうで、自分にもこういう時間があったなあとかもっとこういう時間を過ごしたかったなあとかいろいろな思いがわいてくるのです。

多少料理をかじってる男子諸氏にはわかってもらえる気がするんですが、大好きな相手(男女問わず)に料理をふるまって喜んでもらえたときのあの喜びってなんだかものすごくないですか。自分の趣味を褒めてもらえたことのうれしさもさることながら、相手とすごく親しくなれたような感じがするというか。自分の心の中を探っていくと、自分の作った料理が相手のエネルギーになったり相手の体を作っていたりすることからくる支配した感があるというか、そういうアレな感覚も正直あったりするのですが、とにかく自分の作った料理を人と一緒に食べて、しかもそれが楽しいってものすごい幸せだと思うのです。うさぎが家に来る前後のくまの表情を比べてみると明らかに後者の方が明るいので、くまもきっとそうだったんだろうなという感じがします。

この本を読んで以来、エモーショナルなことを言葉に出すようになった気がします。といってもブログでは小出しにするくらいだったし、ツイッターフェイスブックでもそんなに書いてはいなくて、もっぱら頭の中で考えてるだけだったんですが。それでも頭の中ではかなりはっきりと言葉になっていたので、それだけに今の自分にとっては当然のことだったのがブログに書いたらあんなに反響があって、そこには驚きました。いかんせん心が閉じている時に読んだもので客観的な評価ができないのですが、そんなこんなで私はこの作品が大好きなのです。

同時期にはこれも読んでたなあと思い出したのでリンク。

こころのふしぎ なぜ?どうして? (楽しく学べるシリーズ)

こころのふしぎ なぜ?どうして? (楽しく学べるシリーズ)

 

 これは時期が違うんだけど、急に思い出したので。

 いつか日を改めてブログで取り上げたいなあ。

OBから見た一橋大学のジェンダー覚え書き

読みまして。

www.buzzfeed.com

一橋大学はぼくの母校なので、こんなことが起こっていたことにひどくショックを受けた。死んだ学生は2015年当時25歳だというから、彼が学部時代から一橋だったなら在学期間もかぶっていたはず。ぼくは経済学専攻だったのだが興味本位でロースクールの講義をのぞくこともあったので、もしかしたら同じ教室にいたことがあったかもしれない。

そういえばわが母校にはこんなこともありました。

matome.naver.jp

この騒動以降学園祭でのミスコンはほぼ消滅し、女子学生をステージにあげるもののミスコンとは違うボンヤリした企画にかわったらしい。学園祭と言えど所詮学生のサークルが運営する催しに過ぎないと言ってしまえばそれまでだが、スタンスを貫くなりきっちり謝罪するなりしなさいよと思ってしまう。

個人的な話になるが、1年次の必修の英語の講義の中で、とにかく何かしら近くの人と話さなければならないとき、「彼女はいますか?」的なことを男子学生から聞かれた。まあ、いなかったんだけど、初対面の人にそんなプライベートな話をしたくなかったので「なんでそんなこと聞くの?そんないるいないが当たり前のように聞かれても、仮にぼくが同性愛者だったら彼女なんていなくてもおかしくないよ」と答えたら彼は「マジかよ」と言って若干引いていた。

これらの出来事を並べると、なんとも性の多様性に不寛容な大学に思えてくる。どっちかの記事には「大学ではジェンダー教育に力を入れているって言ってるのに」みたいな記述があったと思うけど、実際にジェンダー教育の名の下に新設された講義は出席を取らず課題図書のレポートだけで評価が決まるから興味のなさそうな学生たちでガイダンスが満員だったっけ。でも、僕が在学時にちょっと交流のあった、学内でジェンダー関連の仕事をしていた人たちは問題にすごく真摯に取り組んでいる人たちだった(全員女性だったけど)。あと、男子高出身の友人から同性愛者のクラスメイトに付きまとわれて嫌だったみたいな話を聞いたことがある。だから、大学としてもないがしろにしているわけじゃないし、男子高出身者の多い大学だからもう男は勘弁してくれろ、と思ってる人も多いのかもしれない。

そしてこの記事も読みまして。

www.todaishimbun.org

まず驚いたのは東大には女子学生が2割以下しかいないということ。そんなに少なかったのか。一方で一橋大学は「全学では3:1だが経済学部だけなら9:1」とか「経済学部は東工大より女子比率が低い(東工大バイオ系で女子を確保しているから)」なんて噂を聞いたことがある。実際の数値は知らないけど、体感としてはそんなに間違っていないような気がする。あと東大と一橋で似ているのが他大学から女子を集めていること。一橋はほぼ津田塾大学一択で、まわりはみんなインカレサークルで知り合った津田の女の子と付き合っていた。そして学生は首都圏の小金持ちの家が多くて、女子学生になるとさらにその比率が高まるのも東大と似てるかな。大学名で「東京大学」よりも引きが弱い分、一橋の方が出身の多様性が少ないかもしれない。

なんとなく結論としては、依然として都会の難関大学には男子学生が多くて、彼らのジェンダー観は結構ステレオタイプで、大学側も国のリーダーを育てていこうと息巻く割にはここらへんがおろそかになりがちで、わが母校もその1つといった感じ。まあ、ありそうな話ではあるんだけど、なんだかすごく残念。別の話題で引用しようと思ってたんだけど、上の記事と同じ東大新聞にこんな記事があった。

www.todaishimbun.org

「お前の言ってることは確かにアリかもしれない」って思えるかどうかというのは、それぞれが依って立つ前提を想像できるかどうか、というところにあると思うんです。端的にいうと、他者に対するリスペクトだと思うんですよね。それを実際に持つためには、かなりのレベルの教養と想像力が要る。それは何も人文系に限ったものではないですが、基本的な価値観を支えるものとして、人文的素養が大いに役立つというのが私の見解です。

一橋大学は社会科学の大学ではあるけれど、実はこういう教養を身に着けるにはかなりよい環境が整っていると思う。まず商、経済、法、社会の4学部の科目は所属が他学部でも原則として履修が可能だ。教員も実にバラエティに富んでいて、商学部に経済学者がいるし(組織論とかはほぼ商学部)、商と経済にガチの数学者がいるし、社会学部の中に左翼がいる一方で経済あたりの人たちは(結果的に)右寄りになっている人が多かったりする。学部としては存在しないけど人文学の教員もたくさんいて、教養の講義や大学院でなら彼らの教育も受けられる。そんな環境がありながら、「お前の言ってることはアリかもしれない」って言えるような人たちが少ない気がする。原因はわからないけれど、東大生みたいに「父が大企業、母は専業主婦」みたいな学生が多かったり、学問をするというより商社とか金融とか大企業に就職したい学生が多いからだろうか。

最初の記事の話に戻ると、告白された学生も戸惑っていただろうし、まさか死ぬとは思っていなかっただろう。でも、同性愛者への嫌悪をあらわにする人たちに言いふらす前にもうちょっとなんとかなったんじゃないのか。そして大学側はもっと誠実さを以って問題に向き合ってほしい。以上めんどくさいOBの雑記でした。

 

慣れたころに夏が終わる

お題「夏服」

夏服に限らないけど、衣替えの度にその服に慣れなくて、季節が終わるころにようやく慣れたかと思ったらまた季節が変わって衣替えになってしまう、ということがある。高校のころなんてワイシャツ⇔学ランの切り替えがあるから本当に面倒だったなあ。

夏は終わるもの 映画評「時をかける少女」(2006)

今週のお題「映画の夏」

 

夏は終わる。否応なしに終わる。気温は下がり、夏休みという人生のうちでほんのしばらくしか享受できないモラトリアムが終わり、娯楽施設はテンションを下げる。夏は終わる。絶対に終わる。そもそも始まるのは春しかないのだが、それはともかく夏は終わっていくものなのだ。それを我々は社会に出るまでに知る。あのひとときは何か特別なものだったんじゃないかという期待、あるいは不安を知ることになるのだ。

細田守はその点をものすごく理解していた作家である。「ぼくらのウォーゲーム」、「オマツリ男爵」(夏祭り、という強引な解釈)、「おおかみこども」、そしてこの「時かけ」こそその最たるものである。これらはどれも開幕直後から不穏な空気が漂っている。抜けるように青い空、日差し、雲、これらがいやに鮮明に描かれる。ともすれば美しいその景色も、終わっていくものだと分かるや否や一気に不穏になる。いまこの時間は長続きしない、すぐに終わってしまうものなのではないかと思わされてしまう。そこで描かれるのが高校生、男2人に女1人、何も考えずに仲良く過ごすのが許される最後の世代、これらの要素が見るものにある種の覚悟を強いる。この世界は崩壊するぞ、変わらないと思っていたものが否応なしに変化してしまうぞと脅しをかける。そして実際に、主人公の真琴は終わらせてしまうのだ。千昭との夏を。本当は未来で待ってなどいない。当人たちはもちろん待つand走っていくつもりではある。しかし絶対に2人はかつての2人ではない。現実ならば時間の経過による心情の変化によって新しい関係が築けるかもしれないが、本作は物語だ。この作品が変化することはない。2人はずっとそのまま、ただ信じている。残酷。

あなたと過ごした日々を この胸に焼き付けよう

思い出さなくても 大丈夫なように

いつか他の誰かを 好きになったとしても

あなたはずっと 特別で 大切で

またこの季節が めぐってく

この映画は主題歌のこの歌詞にすべて集約される。きっと2人は出会わない。それでも思い出す。いや、思い出さないんだけど。終わった季節をその後も何度も繰り返しながら生きる。夏は終わるもの。終わったものは終わったのだ。でも次もまた夏は来る。終わるものではあっても、再び夏はやってくるのだ。

 

「判断」というエンターテイメント 映画評「シン・ゴジラ」

自分で思った通りの行動をとることができることの快感というものがあると思っている。自分の中ではそれが小学校のころの教科書を中学生になってから読み返した時の問題の答えが手に取るようにわかる感覚とか、バイト先の仕事を覚えて自分一人で現場が回せるようになった時のあの感覚とか、貧弱なイメージしかないけれど、素早い判断ができるようになったときのうれしさみたいなものがある。自分がその筋のプロにでもなったような感覚というか。そういう「プロ感覚」を娯楽としてがっつり成立させたのが「ボーン・スプレマシー」で、伊藤計劃が指摘していたように、ボーンも刺客も一瞬で現状を把握して最適な行動をとることができるという圧倒的な能力を持っていることを我々凡人にもわかるように描写しエンタメとして完成させた。状況判断からの行動を最高の編集とともに見せるということは観衆にカタルシスを与えるし、「スクリーンの中で”もの”が動いて(アクションして)おもしろい」というのは映画におけるプリミティブな快感でもあると思う。

その点においてこの「シン・ゴジラ」は非常にもどかしい。いわゆる「会議ばかりして決定が遅い日本人」像がこれでもかと描かれるし、登場人物も全力で愚痴る。特に前半、緊急事態発生からの進まない情報収集、無駄な会議の立ち上げ、トップを張る人物の不必要な逡巡、そこに素早い判断というものは一切ない。それは主人公たちの活躍がメインになる後半であっても変わることはなく、決定的な解決策を発見しても遅々として進まない作戦は見ていて非常に歯がゆい。しかし、それだけに大きく動いた時のあの感動たるや。これが未知の脅威に対する決定打となるかどうかはわからなかったはずで、それでも計画が実行され順調に進行したときのあの感動たるや。暗礁に乗り上げたかと思いきや第2波第3波が用意されている「これでもか」感たるや。素早く判断し実行するというテキパキした快感は無いものの、あの時の判断は正しかったんや!という報われた快感がそこにはある。

政治家たちが集まっている状況に怪獣が出現して、ついでに各国の思惑が交差するという構図から考えるに、怪獣映画というジャンルでこれに最も近いのは「ギララの逆襲」だったりして、それだけにこれは正当なゴジラ映画ではないと思っている。それはぼくがvsシリーズ以降のめんどくさいオタクで、ファンのおそらく7割が「あれは微妙だよねえ。おれは好きだけど」と言うであろうスペースゴジラを正義としているだけで別に悪意はない。もっと言えば一番好きなのはGMKかビオランテで、それらよりもはるかにガメラ2が好きで、ギララの逆襲も大傑作だと思っている。とはいえそもそも本多・円谷からの川北という流れ以外存在しないゴジラ映画に「らしさ」を求める時点で大いに間違っている。クローバーフィールドとかギャレゴジとか本作とか、「ぼくのがんがえたゴジラ」がちょくちょく見られる環境というのが一番の理想である。そしてその中でも本作は、震災という日本人共通のバックボーンを利用したとはいえ(「24の瞳」とかも戦争をそういう効果に使っているのでなんらおかしくはないのだが)、怪獣映画を飛び越えて1本の映画として見せたのは素晴らしいの一言。これに尽きる。語りたい部分としては余貴美子ハマーン様ぶりとかピエール瀧のかっこよさとか最終的に日本を救ったのが平泉成演じるタヌキジジイが白人に最敬礼するという風刺画もかくやという描写とか、それはもう尽きないのだがそれはまた日を改めて。

あの人と結ばれなかった私は今

 

あなたがわたしに魔法をかけてくれる - インターネットの備忘録

いかにクソみたいな人生であってもなかなか死のうとは思えないのは、遠い昔に結ばれなかった相手が言った「君っておもしろいね」「料理が上手だね」みたいな言葉が支えになっているからだったりする。確かに魔法かも

2016/08/02 19:35

 

 それはもう死ぬほど好きだった人と結ばれない、という経験が私にはある。なにせその人の幸せこそが私の幸せで、なんならもうその人が生きているだけで満たされるような、そんな相手だったから。自分の全てを以ってその人と向き合い、相手を光らせ、自分の思いをぶつけ、それらが止揚するような世界、そんなものがありえるんじゃないかと希望を持っていたころのことだ。「グッド・ウィル・ハンティング」でロビン・ウィリアムズが言っていたような、「目を覚ますと天使が横にいるという喜び」的なものがそこにはあった。彼女との食事、会話、帰り道、俺の6畳の1K、笑顔、髪形、ファッション、共に涙を流した瞬間、同じものを見て笑った瞬間、肌の色、声、俺の声、あのときの領収書、消せなかったメール、とあるwebサービスの終了とともに消えてしまったメッセージ、酒、準備したのに話せなかった話題、「大好き」の言葉、落ちる瞬間、最高の誕生日、視線、俺を見ろ、俺を見ろ俺を見ろ俺を見ろ、神様頼むから彼女にだけはこれから悲しい出来事が起こらないようにしてください、共感、「先生」、名前の響き、彼女の出身地、年齢、最寄り駅、あの夜最高に楽しかったあの夜。思い出すなり眩しさを感じるのは俺が泣いているからか。彼女と別れて以降の現在、自分の人生は余生というか消化試合というか流しというか、肩に力の入らない人生を送っている。もしかしたらこの先彼女よりも魅力的な女性と出会い、親密な関係になるかもしれない。それでも間違いなく欠乏感を感じずにはいられないだろうという予感がある。所詮どこにでもいるような女で、世界を代表するセックスシンボルでもなければ、町一番の美女というわけでもなかったかもしれない。それでも、それでも、好きだったんだ。

 

hase0831.hatenablog.jp

 

なんだかこんなことを書かれてしまっては、エモいこと書かなきゃいけない気がしてきた。だから書いた。きっと自分の人生は物語なんかじゃなくて、宇宙規模で見たらものすごくどうでもいいことはわかっているけれども、それでも書いたっていいじゃないか。「誰かに届くかも」みたいな幻想がどうのこうの、みたいなことを山形浩生は書いていたが、ここは「ポケベルが鳴らなくて」がのちの世で古びてしまったとしてもその時々でそういう歌詞を書くべきなのだと叫んだ秋元康を支持したい。これは私の物語ですらない、なんのカタルシスもない覚書でしかないけれど、それでも書いた。だって夏なんだもん。