砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

柔軟剤を初めて使ったら文明が来た

ぼくの家族は父、母、兄と男が多数派である。だからなのか、母はぼくが幼いころよその家のお母さんから言葉遣いが乱暴であると陰口をたたかれたらしい。このことに母はいささか傷ついたようである。それと関係あるのかはわからないが、ぼくは比較的文化的でない生活を送ってきた。歯を磨くようになったのは10代半ばくらいからだし、朝起きたら顔を洗うという習慣も最近までなかった。就職してしばらくたつまでワイシャツにはアイロンをかけるものだと知らなかったし、しわしわのシャツを着ているくせに自分では身だしなみに欠点は無いと思い込んでいたのである。いつぞや母にそういうことは常識であるとちゃんと教育しておいてくれよと愚痴ったことがあるが、母としてはちゃんと教えたはずでありそれらができないのはぼくの怠慢であると認識していたようである。子供笑うな来た道だ、あるいは親の心子知らず、いずれにせよぼくはいわゆる「ちゃんとした生活」からややずれた認識のまま大人になってしまったのである。

さて先日以下の記事を読んだ。アップされた当時も読んでいたが、たまたま再読するに至ったのである。

https://news.hihin.net/?p=829

「ベッドを作れ」「生活に投資しろ」という言葉が、再読した今妙に響いたのである。ぼくはエチケットの習慣がないというよりは、よりよい生活への投資を怠ってきたのではないか。健康かつ機嫌よく過ごすための手入れをしてこなかったのではないか。そう思うに至り、まず気になったのは洗濯の環境である。社宅として会社からあてがわれた借り上げアパートは外にしか洗濯機を置けず、金が余っていようがドラム式など望むべくもない状況ではあるが、洗濯槽の掃除もしていない洗濯機で洗剤も使わずに洗っている自分にふと気づいたのである。おいこのままでいいのか。オイコノミア。経済学economicsの語源となったこの言葉は家を治めるという意味である。このままでよいはずがない。革命だ、マツモトキヨシに走れ。

思えばぼくの家にはテレビがない。最近持病の治療のために毎週病院に通っていたのだが、病院のテレビを見ていて気づいたのは洗剤や掃除用具のCMの多さである。これだけたくさんのCMを見ていればおのずと衛生環境への意識が高くなるだろう。テレビはやはり現代社会に無くてはならないものである。CMの中ではニノがナウい洗濯用洗剤のあり方についてドヤ顔で語っていた。これだ、ナノックスだ。おれはナノックスを買う。したらばおれの生活つまるところのQOLが爆上げ間違いなし、そして柔軟剤というものもこの世にあったな、ついでに買ってやるか。

そして家にはナノックスとなんかすごい高かった柔軟剤が来た。甘美なフルーツのかおりがするらしい。なんスかそれエロいやつですか。ナノックスは知らん。よく見てないので汚れが落ちてるのかどうかは知らない。結果すごかったのは柔軟剤である。柔軟剤といってもはたしてこの洗濯物が柔軟になっているのかどうかはよくわからない。でも、着るときいいにおいがするのだ。甘美かどうかは知らない。なんなら若い折から2ちゃんねるの生活全般板に入り浸っていたおれはダウニーによる公害被害などを見るにつけ柔軟剤は悪であるとの思い込みがあった。おろかなおれよ、後悔あとで立たれたし。いいにおいがするとは、つまりいいにおいがするみたいなところがあるのだ。禿げるほどにテンアゲ、狂おしいほどにミッドナイト、Bluetoothお前もか、つまりとてもいいきもちになったのである。

文明の勝利だ、友よ共に凱歌を歌おう。マールショーン、マールショーン、カーンサンアンプール。やったぜババア、明日はホームランだ!文化だ、文明だ!新たな概念がぼくの生活にやってきた。これが豊かさよ。今のぼくはとても気分がいい。なぜなら柔軟剤を手に入れたからだ。すごいぞ柔軟剤!。ありがとう企業の人!イェーイ、フゥーッ!ヒューヒューッ!

 

あ、あけましておめでとうございます。