砂漠のナボナ

来る前からここにいて、去った後もここにとどまる

夏なのでバーに行く

k-point.hatenablog.com

夏だから、と思って書いた上の記事がもう3年前だ。そうか、3年も前か。わがブログ史上最大のヒット作にして、今も自分の境遇が変わってないとは思わなかったよ。今でもあのころのことが夢に出るし、そしてまたしてもあのころのように失恋をしている。おいマジか、同い年の君よ。安易に男に媚びたりしない君はそれはもう美しかったが、今回ばかりは世間からの女性への圧力が仕事をしてくれてもよかったんじゃないか、そんな負け惜しみを言わずにはいられない。 そして君の年齢で実家とべったりなのはさすがにどうかと思うよ。もちろんこれも負け惜しみである。

女に生まれてモヤってる!

女に生まれてモヤってる!

 

クソ女め。もちろんこの本も読んだうえでそう言っている。どういう意味かと言えば、そんなことこれっぱかしも本心ではないということだ。願わくばあなたが女性に生まれたことを心の底から謳歌し、女性に生まれたことによる苦しみを感じることがありませんように。しかし、それとは別に喪失の苦しみは大小を問わず精神を八つ裂きにする。喪失の苦しみは例えそれが10年越しだろうと2秒越しだろうと比較できるものではない。喪失の苦しみはありもしない感情をでっちあげてでも自分を遠くに飛ばさないと癒えることはないのだ。

さて、そんなに悲しいときはバーに行こう。

うるせえな、近くにスナックがなかったんだよ。バーは2件もあったんだよ。キューバリブレが飲みたかったんだよ。

おっとここで新海誠もびっくりセカイ系超ド童貞暗号技術キューバリブレ小説がこちら

未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)

未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)

 

 作者はこれまた僕と同じ大学の出身で、そうとは書いていなかったのにそうとわかってしまうぐらいには僕に刺さってしまう小説だったのである。何度もバーが出てきて、そのたび主人公はキューバリブレを飲む。そして主人公は出てくる美女全員にモテる。死ね。

僕も決して若者とは言えない年になった。3年前からそうだと思っていたが、3年たつともっとそれなりである。でも業界内では若い、社内でも若い、部下も後輩も入ってこないからなおさらひよっこ扱い、3年たっても相応の加齢、ここでは”社会的な加齢”とでもいうようなものを実感できないというのは非常につらい。そんな僕にこそバーという環境は最高にマッチした。老け顔、社会的な立ち位置、社会人としての段階を踏めないもどかしさ。こちとら金ならあるんだ!独身だからね!

はっはっは、アニメだからね!とは (ハッハッハアニメダカラネとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

前置きが長くなった。バーの話である。1軒目は家から徒歩5分、チャージなし、メニュー表完備の明朗会計、フードも充実、飲み物は安くもないが高くもないという、普段使いに最適すぎる店だ。マスターはカクテルショーもできるらしく、話を聞く限り地元で音楽活動もやっているようだった。店内のイキフンにそれなりのチャラさはあるものの、マスターの接客は丁寧。客層は騒ぐほどではないものの静かにしていたくもない感じ。トイレもきれい。ジントニック、つまみにピクルス、アイリッシュコーヒー、キューバリブレを飲んで出た。2600円。ああいいね、ちょうどいい。せんべろというわけにはいかないが、いい感じだ。ピクルスも値段のわりに量が多かった。

2件目は徒歩10分の雑居ビルにあった。他の部屋には割烹やラウンジ(ってなんですか)もある、この町こんなに飲み屋あったんだ、ってぐらいの店である。雰囲気はいかにもバーという感じ、髪を撫でつけベストで決めたメガネのマスターが穏やかな声で話しかける、ザ・バーともいうべき店であった。フランス語ならル・バール、スペイン語ならエル・バルダイソーならザ・バーである。メニュー表は無し、カクテル知らないのでちょっとびびる。室内は暗め、席ごとにろうそく、トイレもきれい。ジントニック、つまみにピーナッツ、ジントニック、生ビール。フードもこだわり派なのか、乾きもののナッツを期待してたのにバタピーをさらにバターで炒めてコショウを振ったものが出てきた。予想外ではあったが油脂と油脂との組み合わせは否応なしにうまい。あとバナナをベーコンで巻いて焼いたものも出てきた。ベーコンが好みの味ではなかったがまあまあのうまさ。しめて3800円。なるほどねー。

正直に告白すると出会いを求めている。喪失の悲しみを埋めるのは新たな出会いだ。ここまでの人生では喪失と家庭内不和とか、家族の急病とか、自分自身の急病が重なった。それに比べればすぐに回避行動をとれている今は、まだいくらかマシなんだろう。しかしながら、期待した出会いはそんなにないだろう。これは店がどうとかではなく、土地柄である。それでもそこには酒を飲むおれがいる。酒を供する店員がいる。常連客の要領を得ない話は、いつかわかるようになるのだろうか。今はどうでもいい。おれには居場所ができた。チェーン店より高いが、婚活パーティーよりは安い。まあ悪くない、いい感じだ。だいたいそんな感じ。

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

hase0831.hatenablog.jp

高校生の時から好きな小説と、今回大いに参考にした記事、ありがとう。

だがナスはうまい

諸君、この喜びと共に今年の夏を迎えられることはこの上ない喜びである。ナスがうまい。とにかくうまい。とにかくうまいのである。

例えば、豚バラ肉と炒めるとしよう。フライパンの脂を一瞬で吸い尽くす様には正直ドン引きであるが、油を吸ったナスほどうまいものはない。さらにピーマン、これは多少マニアックだが、こどもピーマンと呼ばれる細長くて身が分厚く、味の濃いピーマンがある。これと一緒に炒めるのもうまい。油を吸ったナス、青臭いピーマン、ただでさえうまい肉。夏だ、米を食おう、ビールを飲もう。我々は自由なのである。

こう書いてはいるが、ぼくには腸の持病があるので脂の多いものは食べられない。食べるともれなく下痢するからだ。「もれなく下痢する」って、なんかこう、ねえ、ウフフ。だがナスはうまい。その事実に変わりは無い。先日ナスをレンチンして食べたのだが、ただこれでさえうまい。調理に油を使ってないから腹を壊すことはない。でも、ナスってそういえば何味なんだろうか。

そう思って調べてみると味についてのはっきりした言及は特になかった。生だと灰汁があるとか、酸味や苦みがあるとか、これだけの情報ではとてもおいしいとは思えない。だがナスはうまい。そして味についての明確な描写はないのに油との相性については必ず言及されている。みんな何だと思ってるんだろう。だがナスはうまい。

先日初めて婚活パーティーに参加した。なんか色々思うことはあったのだが、人と人が出会って仲良くなることは難しい。それを商売にすることも難しい。みんなよく生きていられるな、と思った。あと、女性の参加費がものすごく安いパーティーだったのだが、女性のやる気が無くて、みんな暇つぶしに来ているようだった。なんだかこう、女性の貧困みたいなことを考えてしまって、でもそれを口にすると風俗嬢に説教する男みたいでなんだか嫌で、でもなんなんだろう。だがナスはうまい。おいしいものを食べて生きていたい。当然エビフライもおいしいが、ナスのうまさも最高である。今ここでエビフライを持ち出したことに全く意味は無い。

さっきはナスとピーマンを合わせるレシピを紹介したが、他にもおいしいナス料理がある。しらすをごま油で炒め、ナスと万願寺唐辛子をあわせて軽く炒めたらめんつゆなんかで煮るのだ。ごま油は使っているが量は調節すればいいのだ。ピーマンも万願寺唐辛子もいっしょではないか、いや違うのである。なんか今日食べた奴めっちゃ辛かったし。それはそうとこの煮物、名前はなんというのだろう。知らないがうまい。熱くてもうまいし、この季節冷まして食べてもうまい。

この料理をおれに教えてくれた男は、かつて僕が親友だと思っていた男は、この僕から最愛の女性を奪った男でもある。なんかうっかり人にこのことを話したらマンガみたいな話と言われた。そうかな、ありふれてるんじゃないのと思わないではなかったが、たしかにまあ、おれもドラマみたいだなと思ったよ。自分が彼の立場だったらどうしていたかと聞かれたが、死ぬほど悩んだ末に身を引いてただろうなと答えた。嘘偽り無く答えたつもりではあったが、そいつを今でも殺してやりたいと思っていることとは大いに矛盾しているのに気がついた。しかしこの人初対面なのに踏み込んだこと聞いてくるなと思ったが、彼女もまた婚活イベントで出会った人なのである。まあいいかと思いながら、お互い最初から下心があって出会った相手というのは面白い関係性だと思った。どう転がっていこうか。

だがやはりナスはうまい。この季節、スーパーの漬け物売り場にはちょっといいナスの漬け物が並ぶのだ。あれだけ油との相性がいいと言われたナスのくせに、まったく油を使わない漬け物にしてもうまい。なんでだろうな、はっきりした味もないのに。

久々に「秒速5センチメートル」を見た。久々に泣きたかったので。かつては貴樹君に感情移入して泣けてしまったのだが、大人になってから貴樹にふられる女性が悲しくって泣けて仕方なかった(漫画版では描写がめっちゃ増えてマジで泣ける)。それでも結局ラストの山崎まさよしが流れ始めると涙が止まらなくなってしまったのだが、一瞬号泣しても泣き続けることができないのだ。役者に向いているのかも知れない。

だがナスはうまい。この、なすそうめんという料理がものすごくうまい。この記事へのリンクを張れることが、この記事唯一の有益な部分である。

www.hotpepper.jp

はたして有益であるとはどういうことなのだろうか。あなたは、有益ですか?

 

 

難病になってよかったこと

「難病もの」映画の感情移入がはかどってめちゃめちゃ泣けるのだ。

 

k-point.hatenablog.com

 

僕は潰瘍性大腸炎を患っている、原因はわからないけれどなぜか腸に炎症ができて下痢や血便が増える。症状がつらいときはそれはもうつらいが、直接死に結びつくことはないし、実はこれ難病(厚労省が指定する特定疾患、単純に治療法のない重い病気というわけではない)の中では一番患者が多いので、完治はしなくてもやりすごすノウハウの蓄積がかなりあるのだ。だからうっかり消化に悪い物を食べ過ぎたりしない限り何も症状は出ないし、他の人とそこまで変わった生活になるわけでもない。

それはそうなのだが、「難病」と呼ばれるものを背負うのはそれなりに覚悟を強いられる事態ではある。今まで思い描いていた将来がちょっと茨の道になったような感覚があった。一番ひどかったときはお腹が痛すぎて鬱になりかけたし、やむを得ず人のいるところで漏らしてしまったこともある。それなりに症状が安定した後も、ステロイド剤の副作用で体中に赤いニキビができたり、体重が乱高下したり、ホルモン量の変化でまたしても鬱になりかけたり、毛の抜ける薬を飲むはめになったり(抜けなかったけど)、こうしてみるとなかなかにハードな人生である。

さて、難病ものと呼ばれるジャンルがある。いざ自分がなってみると、これほど泣けるジャンルはない。近年では「君の膵臓を食べたい」(実写、アニメ共に主役の演技と音楽が最高ってちょっとすごいメディアミックスですよね)とか、「8年越しの花嫁」とか、変化球だけど「世界一キライなあなたに」とか、ちょっと前だけど「私の中のあなた」(アレック・ボールドウィンが脇役ながら良いのです)とか。並べてみると、難病ものとは難病に苦しむ当事者とその周囲の物語で、特に後者が主人公であることが多い。前者は僕も同じ当事者であるという立場からものすごく感情移入できるのだが、後者にもまた、すっごく感情移入してしまうのである。

僕は潰瘍性大腸炎の診断を受けた当初、正直あまり自分事としてとらえることができなかった。だってなんか急に腹が痛いんだもん、そして原因がわからないんだもん。診断を受けたときも、自分の状態にやっと名前が付いた安堵感はあったものの、それ以外は「へーすごいですね」という風であった。象徴的なエピソードとして、当時僕が周囲に開催を持ちかけた「難病ナイト」というイベントがある。僕の難病罹患を祝して盛大に飲み会をし、最後に僕が架空のアイドル”ゲリピー”に扮して「碧いうさぎ」を歌って締めるというイベントを提案したのだが、話した人にドン引きされて終わっただけである。病気になったことをせめて笑い話にしようという意図があったわけだが、それにしたってまじめにとらえていなかったのであろう。もしくは、どうとらえていいかわからなかったのだと思う。

映画の登場人物、病気の当事者を取り巻く人々も、ある者は重くとらえて狼狽し、ある者は辛抱強く向き合い、また無関心な者さえいたりする。それはもちろん、当事者との関係性や当人の価値観によって変わってくるだろう。しかしそれは当事者にとっても同じなのである。自分自身でだって、自分自身のことはよくわからないのだ。まず病気をどう治療するかの選択、そしてどう向き合うかの選択をする必要がある。あっけらかんとしているか、悲劇のヒロインぶるか、あまり気負わず周囲に依存して生きるか(っていうのが熊谷晋一郎の当事者研究ではよく言及されるけれども)、その時々で何通りもの選択肢がある。当事者であっても望んで発症したわけではないのだから、ある意味巻き込まれた第三者的な一面があるのだ。

さすがに難病ものは当事者がいるだけにどれも慎重に作られている。どれも事実や綿密な取材を元に作られているのだろう。もしかしたら自分の現状を特別なものと思いたくて、創作の中に自分を重ねているのかもしれないけれど、とにかく僕は難病ものが好きである。登場人物の言動が、一挙手一投足が涙を誘う。ああ、がんばって生きてるな、おれもがんばってるんだよな、なにせおれ、がんばってるからな。そこでようやく病気の自分を許せる気がするのだ。難病というのは理由無く発症するもので、患者自身には何も落ち度がないのだけれど、それでも自分の中には失敗感、挫折感、悔しさがある。それがようやく救われる場所が僕にとっては難病もの映画なのである。

さて、なんでこんなに感傷的になったかというと、「8年越しの花嫁」を見ていたのだが土屋太鳳演じるヒロインは調理師なのだ。そんでもって直近の僕の失恋相手が調理師なのだ。ちなみにその前は栄養士である。腸疾患を抱える者としては食に強いパートナーが是非ほしいところなのだが、何かとうまくいかないものである。こうなったら食は自分で極めることにして、パートナーについてはなんとしても美人で巨乳でどスケベな嫁を手に入れる所存である。

 

8年越しの花嫁 奇跡の実話
 

 

残業と結婚

このところ2か月ほどずっと残業続きだった。過労死ラインには届かないが、実家から遠く離れ友人も恋人もいない独身では生活の基盤があっさり崩れる。たまっていく洗濯物、使っていないのに減っていくお金(自炊せずに適当に買っては食べずに捨てたりするから)、悪化する持病、労働とは悪であると言っても過言ではない。

残業といってもトラブル対応だったので、一緒に働く仲間がいたのだ。直属の上司、他部署の上司、他部署の先輩と僕を含めた男4人である。事業部長は逃げた。最遅で日付をまたいで午前1時まで働いていたのだが、ふと気づいたのである。あれ、おれ以外みんな結婚してるぞ、と。

僕は家に帰ってから食事を用意して、選択してないから深夜だけど洗濯機回さなきゃならなくて、でも明日も朝早いからシャワー浴びなきゃいけなくて、とあたふたしている中、ほかのみんなは余裕である。みんな家に帰れば家族がいる。今日日家事は女性だけがやるものではなくなったとはいえ、結婚していれば多少なりとも分担できるものだろう。家に帰ったら翌日分の下着ぐらいは洗濯してあるんだろう。食事ももしかしたら残してあるのかもしれない。なんなら、起きていて帰りを待っているかもしれない。かたやおれはひとり。独身者手当とかないのか。

思ったのだ。結婚したいと。結婚すれば残業し放題ではないか。年収上げ放題である。

もちろんそんなことのためにパートナーが欲しいわけではない。結婚できたならむしろうれしくて早く帰ってくるだろう。それができなくてさみしいのだろうか。

彼女が喜びそうもない話

最近よく話す女性がいて、でもあまり自分から話してくれる人ではないので、僕はたくさん話題を用意するようになった。そこで話すほどではない話題をいくつか。

クリーニング屋にワイシャツをもっていったところ、手持ちの現金がなかったので近くのATMでおろしてきた。1000円足らずの会計に対し僕はおろしたての1万円札を出したのだが、店のおばちゃんは一言「おっきぃ……」とつぶやいた。僕は「すみません」と答えた。いらんエロスだな、と思った。

・スーツ姿で歩いていると、横断歩道で不意にほかの男性と二人だけ横に並ぶことがある。信号が青になって歩き出すとき、なんとなくドラマ「相棒」みたいだな、と思う。彼と僕のどちらが水谷豊だろうか、彼と比べると僕は寺脇康文だろうか、僕が水谷豊で彼が反町隆史かな、と考えるのは地味に楽しい。

・先日スパイダーマンを見に行った帰り、レイトショーのため終電の時間がギリギリだった。のんびり歩いていては間に合わないので走ることにしたのだが、しばらくすると同じ道を横に並んで走ってくる青年がいた。加速は僕のほうが早かったがスタミナは彼のほうがあった。信号で止まって横に並ぶたび、「まだいけるか、相棒」と戦友みたいな感情が芽生えた。駅に着く前に彼はいなくなってしまったのだけど、どこにいったのだろう。同じ電車だったなら飲みに誘ったのに。

彼女は下戸で、酒は飲めない。ディナーに誘ったらよくわからない理由で断られてしまった。じゃあなんでランチは必ず来てくれるんだろう。

京アニについてはただ祈るしかない夜、どうかよい眠りを

傘の会

傘の会、というものを作りたくなったことがある。

当時、僕は入院から職場復帰したばかりで、仕事のストレスに敏感になっていた。同時に、人が抱えるストレスにも関心があった。あの人が最近疲れている、あの人は職場に友達がいなくてさみしそうだ・・・・・・そんな話を聞くにつけ、他人事ながらに真剣に怒っていた。職場でどう振る舞っていようと、そんなの人の勝手だろう。でも、そのつらさを思うと悲しくなる。自分が体を壊したときのように、あの人もどこかで歯止めがきかなくなるんじゃないのか。僕は戻ってこれたけど、手遅れになってしまう人もいるんじゃないか。

そんな人を守るのが傘の会である。単純に皆で集まって、仕事とかそんなに頑張らなくていいよね、そういう話をして終わり。ご飯に行ったり、お酒を飲みに行ってもいいだろう。でも早めに切り上げて2次会もなし。そういうものが作りたかった。社内には意識の高い人たちもいて、自分の価値を高めようと必死だった。ある種の人々を引きつける部分はあって、輪に加わる人たちもちらほらいた。でも、そもそも人に価値、というか優劣は存在しない。彼らはなんとか優劣の優になりたくて必死だった。そしてそれは僕にとって全く魅力的ではなかった。虚無だ。そんなことよりも互いが互いに傘を差し出すような、気負わずに参加できる互助会、そんなものがほしかった。

しかし僕の考えは上に書いた物から一歩も進むことはなかった。それは具体性のない妄想に過ぎなかった。ほどなく入院前の勤務態度に戻った僕は傘の会について真剣に考えるのをやめた。でも、時々思い出すことがある。苦しむ誰かに傘を差してあげたいと、そして誰かの傘に少しでいいから入れてもらえないだろうかと。それはきっと切実な願いで、意志で、私である。

豪雨の折、すべての人に恵みが来ますように

小ネタ4つ

ツイッターに書けばいいのだが、ブログに書きたかったのだ。

 

・居酒屋とかクラブにウーロン茶はあってもどうして麦茶が置いてないんだろう。冷えた麦茶を飲んでいて思った。冬なので常温である。乾杯するときに飲めない人は麦茶。飲んだ人も酔い覚ましに麦茶。クラブやライブハウスで疲れたら麦茶。あっさりしてクセの無いおいしさが体中に染み渡る。ミネラルも豊富だ。ごはんにも合うだろう。ラーメンにライス、ゆで卵にマヨネーズがおいしいように、穀物には穀物である。

と思ってググったら正解がわかった。複数のサイトを総合して考えると、昔から親しまれていて家にも常にある飲み物だけに金が取れないかららしい。食堂みたいなところでは麦茶やほうじ茶はタダで出してるからでは、という意見もあった。なるほど、と思う一方で納得しない部分もある。金取れるだけの高級麦茶をメーカーに作ってほしい。

 

・ブログの記事に締めの言葉、決め台詞がほしい。ちきりん氏の「そんじゃーね」とか、借金玉氏の「やっていきましょう」とか、まくるめ氏の「お願いしますね。お願いしましたよ」とか、ちょうかっこいい。僕の「現場からは以上です」はカズレーザーのパクリだ。ある日知人から、お前はカズレーザーに似ている、と。体がでかくて頭が良いからだそうだ。ほめられているようでうれしかったのだが、実はそんなにしっくりきていない。さてどうしようかと頭をひねったのだが(5秒)、とりあえず「うっとりウォンバット」って書いておこうと思う。今日はずっとウォンバットの画像を見ていたのだ。かわいいだろうウォンバット。だからうっとりウォンバット。うん、良いんじゃないか。

 

・困窮している。経済的にも(給料が少ないのにクレカ使いすぎた。何に使ってるのかはよくわからない)、仕事的にも(忙しくなりそうなのと、近くの部署に本気で嫌いな奴が来る)、プライベートも(友達や恋人がほしくて社交の場に出かけるのだが、その場をめちゃくちゃ盛り上げてもそのテンションで周りだけ仲良くなっちゃって結局ひとりになってしまう)、体調的にも(何を食べてもおいしくないけどおなかがすく。乾燥して肌荒れがすごい。常にねむい。持病のために飲んでいたステロイド剤をやめたら副作用による躁状態が終わって落ち込みやすくなった)、非常に困ったことばかりである。打開しようもないのでブログを書いている。ブログを書く暇があったら3ヶ月放置している恩師からのメールと友人からのメールに返事を書かなくてはならないのだが、上記の通り気がかりが多すぎてペンディングしてしまう。この話書いてると暗くなってきたので特にオチはないです。

 

・今更ながら、「SSSS.GRIDMAN」すごいよかった。高校生の青春ものと、特撮・ロボットアニメのパロディと、めちゃくちゃかっこいい主題歌と、世界を救いつつたったひとりを同時に救うという「ヒーローとはなんたるか」をどれも高度なレベルで両立させているという、ちょっと意味がわからないレベルの仕事を見た。あれば良いアニメですよ。

 

今日はここまで。うっとりウォンバット